2025年3月16日 受難節第二主日礼拝説教「赦されて生きる」 東野ひかり牧師
ミカ書第7章18~20節
ルカによる福音書第7章36~50節
ルカ福音書第7章が伝えますこの美しい物語を読みますとき、私にはいつも想い起こされる姉妹があります。教会の仲間たちからも尊敬され慕われていらした方、94歳で召されるまで忠実な教会生活をなさった方でした。今歌いました第2編58番の讃美歌は、実はその方の愛唱讃美歌でした。「いかなれば きみはかく われを愛したもうや 知るをえず 知るはただ 罪にそみしこしかた」。自分の歩みを振り返ればただ罪に染まるこしかたを知るのみ、しかしこのように罪深い自分を主イエスはなんと深く愛してくださったことかと、自分のこしかたに注がれてきた主の愛と赦しを見て涙するように歌っている歌です。その方は祈られるとき、いつも「このように罪深い者を…」と祈られました。それはとても印象深いことでした。あるときには「歳を重ねてなおさら、自分の罪の深さを思う」ともおっしゃいました。それを聞いた教会の仲間が「あの方のようにご立派な方が、歳を重ねてなおさら自分の罪の深さを思うとおっしゃったのには驚きました」と言われました。
ルカ第7章の「罪深い女」は、主の足をぬらすほどの涙を流しながら、自分の多くの、また大きな罪が、この主イエス・キリストというお方によって赦されていることへの深い感謝と喜びをここにひとすじにあらわしておりますが、この涙する女性の姿を読みますとき、私はいつもその方を想い起こすのです。自分のように罪の深い者を主はかくまで愛したもう、このように罪深い者をかくまで赦したもうと、その方は祈りの中でまた言葉や行いの端々で証ししておられました。ひとすじに主を愛する愛に生きておられました。この方は、自らの罪を悔い悲しむ涙と、その罪が赦されている喜びと感謝の涙を知っておられた方だと思うのです。
ルカが独自の仕方で伝えていますこの物語は、お気づきの方も多いと思いますけれども、マルコ・マタイやヨハネの福音書が伝えていますナルドの香油の女性の物語とよく似ています。よく似ていますけれども大分違っています。ナルドの香油の話はひとりの女性(ヨハネ福音書ではそれはベタニア村のラザロの姉妹マリアでした)が、非常に高価で純粋なナルドの香油を惜しげもなく主イエスの頭(ヨハネでは主の足)に注ぎかけて、十字架の死を目前にした主イエスの葬りの備えをした、そのようにして主に対する愛をあらわした、そういう物語として伝えられています。場所もエルサレムに近いベタニア村でのことでした。けれどもこのルカ第7章の罪深い女の物語は場所も時も異なり、主イエスがまだガリラヤでのお働きをなさっておられたときのガリラヤのある町での出来事として記されています。このルカの物語は、受難物語の始めのところでなされた主イエスへの油注ぎとは別の時、別の場所での出来事です。けれどもルカ第7章の罪深い女の物語も、また十字架の死の直前のナルドの香油の物語も、女性たちの主イエスへのひたすらな愛と感謝をあらわした美しい物語です。
ルカによる福音書は、第7章の終わりにこの罪深い女の物語を記した後、第8章の冒頭に、主イエスと弟子たちの一行をいわば手弁当で支えた女性たちの名前を記します。「悪霊を追い出して病気を癒やしてもらった女たち、すなわち、七つの悪霊を追い出してもらったマグダラの女と呼ばれるマリア、ヘロデの家令クザの妻ヨハナ、それにスサンナ、その他多くの女たち」が自分たちの持ち物を出し合って主イエスと弟子たちの一行に仕え、彼らの身の回りの世話をしたと伝えています。その筆頭にマグダラのマリアの名が挙げられているからでしょうか、第7章の罪深い女はマグダラのマリアだとする見方が昔からありますが、そのように見る人は今は少ないようです。いずれにしましてもルカの書き方は、主イエスと弟子たちの一行を支えた女性たちも、第7章の無名の「罪深い女」と同じように、主イエスによって多くの罪を赦していただいた人たち、そしてその感謝と喜びをもって、主へのひたすらな愛をもって、主と弟子たちの一行に仕えた人たちだと、そういうふうにルカは紹介しているのです。第7章の罪深い女は、何か特別な人というのではなく、福音書に登場する他の女たちと同じ、あるいはその代表のような人と言えるのです。主イエスによって罪赦され、その赦しの恵みと主の愛にうち震えて自らの罪を悔い、涙をもって主への感謝と愛をあらわした人。始めにご紹介した姉妹のような方は、私たちの教会の中にも幾人もおられます。この罪の女は私たち皆の代表のような人、そう言うことができると思うのです。
この女性は、自分の罪をよく知っていました。「自分のような罪深い者」という言葉を謙遜でも何でもなく、心の底から口にする、そうせざるを得ない、そういう人でした。その町の誰もが「あの人は罪深い女だ」と見ていた人でしたから、おそらく娼婦・売春婦という類の女性だったのだろうと言われます。そうでなかったとしても、誰から見ても不道徳な生活をしていたような「罪深い女」でありました。自分ではどうすることもできない罪に苦しんでいた人です。そして周りの人々の「あれは罪の女だ」という冷たい視線によっても苦しみ傷ついていた人でした。
私たちは、この人のような誰の目にも明らかな「罪深い人」ではないかもしれません。しかしそれぞれに、誰にも言えない罪を抱えて生きているのではないかと思います。また私たちも誰かに「レッテルを貼る」ということをしてしまいます。あの人はこういう人だから、あの人はこういう病気を持っている人だからと、私たちも誰かを冷たい目で後ろ指を指すようにレッテル貼りをして裁いているということがあります。そしてそういうことをする自分を知っているからこそ、自分に対してもそのような冷たい裁きの目が向けられていることを感じて、傷つくことがあります。この女性は、自分で自分の罪深さに苦しむだけではなく、周りの人の冷たい裁きの目によっても傷つき苦しんでいた人でした。
しかし、自分も周りも「罪深い女」と見ていたこの人が、人目もはばからず、こともあろうに「あるファリサイ派の人」の家に入ってきました。40節で主イエスはこのファリサイ派の人を「シモン」と呼んでおられます。ファリサイ派のシモン、この人の家にこの女は入っていきました。「ファリサイ」とは「分ける」「分離する」という意味です。ファリサイ派の人々は、罪人と呼ばれる人たち、この女のような人たちから自分たちをきっちり分離する、あらゆる汚れ・罪から分離する、そのようにして自分たちの清さを保ち、神の掟を忠実に守り、正しく生きていた人々です。罪人と呼ばれるような人たちと付き合うことなど決してしなかったし、家に入れることもなかったでしょう。しかしそういうファリサイ派の人の家に、この罪深い女は大胆にも入って行きました。その理由はただ一つ、そこに主イエスが来ておられ、食事の席に着いておられると知ったからです。
主イエスはシモンの家で食事の席に着いておられましたが、その様子は、椅子に座ってテーブルの食卓に着くという私たちの食事の形とは違って、当時のユダヤの食事の仕方で、肘をついて寝そべるような姿勢で食卓に着いておられました。ですから足を横に投げ出して横たわっておられました。その横たわっておられた主イエスの後ろから、この女性は香油の入った石膏のつぼを持ってその足元に近づいて行きました。そしてその足元にひざまずくと、激しく泣きながら、その涙で主イエスの足をぬらし、自分の髪の毛でそれを拭い、その足に口づけしてやまず、主の足に香油を塗りました。涙でその足をぬらすほどに涙を流すというのは、どれだけの涙を流したのかと思いますけれども、この人は涙でぬらした主の足を自分の髪の毛で拭いました。恐らく束ねていた髪をほどいて拭ったのです。女性が人前で髪をほどくというのは、はしたない行為だったそうです。ほんとうに親しい、愛する人の前でしかしないことだと言う人もあります。しかしこの人はそのようにして、主イエスへの最大限の精一杯の愛を率直にあらわしたのです。足に口づけをするというのは、偉大な教師・ラビへの最大の尊敬と敬意の表現とされます。そしてその御足に香油を塗りました。後の44節で主イエスは、シモンが足を洗う水をくれなかったと言っておられますから、主イエスの御足は、土埃に汚れていたのでしょう。苦しむ人悲しむ人を訪ね、病人を癒やし悪霊を追い出し、罪と死の力から解放して歩いておられた主の足は汚れ、傷もついていたのかもしれません。この女性はその御足を涙で洗い、髪の毛で拭い、香油を塗って差し上げたのです。もしかするとその香油は、ナルドの香油のように自分の全財産にも等しい高価な香油だったのかもしれません。この人はそれを主イエスの御足に惜しまず塗り、主イエスへの心からの感謝と愛をあらわしました。
この女性がこれほどの感謝と愛を主にあらわしたのは、この人が既に主イエスと決定的に出会っており、主イエスから既に「あなたの罪は赦された」との赦しの宣言をいただいていたからだろうと、多くの人は自然にそのように考えます。そうであったのかもしれません。けれどもある人は、必ずしもこの女性が既に主イエスとの決定的な出会いを経験していたと想定する必要はないと言います。主イエスというお方は〈赦しそのものが存在となっている〉そういうお方であるからだと言うのです。主イエスはここで、この女性の罪を問い質すようなことも、詮索するようなことも何もおっしゃっていません。この女性が「罪深い」ことは明らかでしたが、しかしそれにひと言も触れることなく、他の人のような冷たい裁きの視線をこの人に向けることもなく、何も聞かず何も責めず、主はこの罪深い女性の存在すべてをそのままに受け入れてしまっておられるのです。〈赦しそのものが存在となっている〉とはそういうことでしょう。そのようにして、主はこの人の全てを受け入れ、そのすべての罪をすっかり赦してしまっておられる。この女性にとって、〈赦しそのもの〉であるお方がここにいてくださる、何も聞かず何も責めず、自分ほどの罪深い者を受け入れていてくださる、赦していてくださる、それだけで涙がとめどなく流れたのです。この人は、自分のような罪深い者がそのままに受け入れられ、赦され、自分ではどうしようもなかった罪から解き放っていただいた、その喜びの涙を、感謝の涙を、主への愛の涙を、主の足元で流し続けました。涙を流しながら、主への感謝と愛を精一杯にあらわしました。この女性は、確かに私たち全ての代表のような人です。
しかしここで、この物語のもう一人の登場人物・ファリサイ派のシモンにも目を向けなければなりません。シモンは、この女性が主イエスに注ぐ涙を冷ややかに見ていました。そして心の中で密かに思ったのです。39節「この人がもし預言者なら、自分に触れている女が誰で、どんな素性の者か分かるはずだ。罪深い女なのに」。シモンは、この罪深い女が主イエスの足元で激しく泣いたその涙を全く理解しませんでした。そこに注ぎ出される苦しみも悲しみも、喜びも感謝も愛も、何も理解しませんでした。そして、主イエスがこの女のすることを黙って受け入れておられることを不可解に思っています。「正しいユダヤ人なら、ましてや預言者なら、こんな罪の女に触れられて黙っていることなどしないはずだ、どうしてこの人はこの女を追い払わないのか。」シモンはそんな思いであったのでしょう。ファリサイ派のシモンは、自分はこんな女とは関わらない、自分は正しい人間なのだからと、そう思っているのです。ファリサイ派なのですから当然と言えば当然です。だから、主イエスがこの女に触れられるままこの人からの愛と尊敬を受けておられることが、不可解だったのです。主イエスはどうしてこんな女と関わっているのかと思いました。
主イエスはシモンの心の声を聞かれました。そしてシモンの名を呼ばれます。40節「イエスはその人に向かって、「シモン、あなたに言いたいことがある」と言われた。」この物語において罪深い女は無名です。ところがこのファリサイ派のシモンはその名前を呼ばれています。主が名前を呼ばれるとき、そこには常に深い憐れみ・愛が込められています。主はシモンに短い譬えをお話になって、問いかけました。41~43節「「ある金貸しから、二人の人が金を借りていた。一人は五百デナリオン、もう一人は五十デナリオンである。ところが、返すことができなかったので、金貸しは二人の借金を帳消しにしてやった。二人のうち、どちらが多くその金貸しを愛するだろうか。」シモンは、「帳消しにしてもらった額の多いほうだと思います」と答えた。イエスは、「あなたの判断は正しい」と言われた。」シモンは、主の問いかけに正しく答えながらも、どうして主イエスが自分にこんな話をなさったのか、どうしてこんな分かり切ったことを聞くのか、よく分からなかったのではないかと思います。主イエスがなさった譬えはあの罪深い女のことだろうが、自分とは関わりない、自分のことではない、そんなふうに思っていたのではないかと思います。このシモンは、自分は神に対しても人に対しても、一デナリの負い目もない、自分には何の罪もないと思っていたのです。
そのシモンに、主は言われました。44~47節「この人を見ないか。私があなたの家に入ったとき、あなたは足を洗う水をくれなかったが、この人は涙で私の足をぬらし、髪の毛で拭ってくれた。45あなたは私に接吻してくれなかったが、この人は私が入ったときから、私の足に接吻してやまなかった。46あなたは頭に油を塗ってくれなかったが、この人は足に香油を塗ってくれた。だから、言っておく。この人が多くの罪を赦されたことは、私に示した愛の大きさで分かる。赦されることの少ない者は、愛することも少ない。」
主はシモンに丁寧に語りかけます。ひとつひとつ数え上げるように、この女が主に何をしてくれたか、そしてシモンは主に何をしてくれなかったか。主イエスは、シモンの主イエスに対する愛の欠如を丁寧に指摘されます。そして言われました。「この人が多くの罪を赦されたことは、私に示した愛の大きさで分かる。赦されることの少ない者は、愛することも少ない。」主イエスははっきり見ておられます。この正しいファリサイ派の人シモン、この人は「自分には赦されなければならないような罪はない」と思っているのです。しかしこのシモンを主は招かれます。「この人を見ないか」と。この罪の女の姿を見るようにと招かれます。主はシモンを、罪の赦しへ、赦されて生きる幸いへ、主を愛する愛に生きる喜びへ、解き放たれて生きることへと招いておられます。
以前の教会の教会学校で、毎年夏に2泊3日の夏期学校に行っておりました。このシモンの姿を読みながら、ある年の夏期学校での出来事を思い起こしました。夜になりまして、各部屋ごとに夜の祈りをしたのですが、私は中学生の女の子たちのお部屋で夜の祈りを一緒にしました。人前でお祈りなどしたことがないという子どもたちもいましたから、教会学校の先生がこういうふうに祈りましょう、というお祈りのサンプルを作ってあげていました。それはこういうものでした。「神さま、今日私が神さまに感謝することは・・・です。今日私が神さまにごめんなさいを言わなければならないことは、・・・です。イエスさまのお名前によって、アーメン。」このサンプルを使って一人ひとりお祈りをしました。ある女の子の番になりました。その子は、「今日私が神さまに感謝することは、これとこれとこれと・・・」と、その日の楽しかったことを次々にあげて感謝の祈りをしました。ところが「今日私が神さまにごめんなさいを言わなければならないことは・・・」と言って言葉に詰まりました。そしてその子はこう祈りました。「神さま、今日私が神さまにごめんなさいを言わなければならないことは、それが思いつかないことです。」私は思わず目を開けてその子の顔を見たくなりながら、感心してその祈りを聞きました。
教会では繰り返し、私たちは罪人ですということを申します。今日もずっと「罪深い女」の話をしてまいりました。この人は私たち皆の代表のような人だとお話してまいりました。確かにそうなのです。私たちは皆、主イエスによって自分の計り知れない大きな罪を赦していただいた、その恵みの中に、喜びと感謝の中に生かされている者たちです。この罪の女の流した涙を、自分たちになりに知っていると思います。けれどももしかすると、皆さまの中にも、罪とか、自分は罪人だとか、そういうことを言われてもあまりぴんとこない、自分はそんなにたくさんの罪を犯してきたとは思っていない、そう思いながらここまで私の話を聞いて来られた方もおられたかもしれないと思います。このシモンのように「自分にはまったく罪はない」とまでは思わないとしても、この女ほど私は罪深くはない、この人ほどに自分の罪は大きくも深くもない、そんなふうにお感じになっていた方もあるかもしれません。私たちのほとんどは、この一週間の歩みを振り返ってみてもまじめに生きてきたでしょう。涙を流して悔いなければならないほどの罪を犯してはいない、そういう歩みをしてきていると思います。自分には赦されなければならないほどの罪は「全くない、ひとつもない」とまでは思わないけれども、この女性ほど、こんなに泣いて悔いるほどの罪を私は犯してきてはいないと、そう思う方の方が多いのかもしれません。私たちは、この罪深い女と自分を重ね合わせるようなことが確かにある一方で、しかし「この人ほどではない」とも思うのではないでしょうか。
けれども主イエスはシモンを招いておられます。「この人を見ないか。」この人を見てごらん、そう言われます。この罪の女と同じところに立つように招いておられるのです。シモンはこの女を見ていなかったのでしょう。目をそむけていたのでしょう。ふしだらな女が何ともはしたないことをしていると顔をしかめ、顔をそむけていたのではないかと思います。「この女と自分は違う、自分は清く正しく生きている、赦されなければならない罪などない」と。私たちも、あの中学生のように「神さまにごめんなさいを言わなければならないことが見つからない」という自分に気づくことがあるのではないでしょうか。主イエスはそういう私たちにも言われます。「この人を見ないか。」主イエスは、この罪の女が涙を流して主に感謝し、主への愛を献げている、自分のすべての罪が赦され、罪から解き放たれた喜びをあらわしている、そのところに私たちの全てを招かれます。自分には罪などない、神さまにごめんなさいと言わなければならないことが思い当たらない、そういう正しく良い生き方をしている私たちのすべてを、この罪の女と同じところに立つようにと招かれるのです。「悔い改めなければならない罪などない」と言い張るところに、この女を裁くその心に、赦されなければならないあなたの罪がある。主はそう言われるのです。ほかのところで主は言われました。「見えると言い張るところに、あなたがたの罪がある。」(ヨハネ9:41)。〈赦しそのものが存在となっている〉主イエスは、私たちのすべての罪を赦すために十字架にかかりその命を捨てられました。主イエスの前で、私たちもあの中学生の女の子と同じように祈らねばならないのかもしれません。「神さま、あなたにごめんなさいを言わなければならないことは、それが思いつかないことです。」
ある人がこういうことを申しました。〈罪の赦しの出来事は、私たちの信仰の出発点だけにあるわけではない、あるいは私たちの信仰生活の終わりだけにあるというのでもない。罪の赦しは、信仰生活の最初と最後にだけ起こることではない。信仰に生きる人の生活は、罪の赦しに始まって、罪の赦しの中を通って、罪の赦しに至る。罪の赦しは一度だけ聞いたら、それでおしまいというのではない。……私たちの人生において神が与えてくださる、主イエス・キリストの十字架の力による罪の赦しは、一度だけ与えられたらそれでもう不必要になるというようなものではない。そうではなくて、私たちの人生は、いつでもその赦しの中でのみ生かされる。主イエスの愛は、いつでもそのようにして、私どもの人生の歩みに付き添い、支えていてくださる。そういう赦しの愛の中で、私どもは毎日のように主イエスにお会いする。〉ドイツでは、三度三度の食事の時に、よくこういう祈りをするのだそうです。「主よ、私たちになくてならぬものが二つあります。あなたの憐れみによって、それをお与えください。日毎のパンと、罪の赦しを。」
私たちは、この罪深い女とファリサイ派のシモンとの間を行ったり来たりするような者かもしれません。しかし、日々の祈り、食前の祈りの度ごとに繰り返し〈赦しそのもの〉である主イエスの足元、十字架のもとに、立ち返り続けたいと願います。主の足元、その赦しの場所で、すべてを受け入れていただいている安心と感謝の中で、自らの罪を悔い悲しむ涙と、その罪が赦されている喜びと感謝の涙を流すことを知る者であり続けたいと願います。そして、主を愛する愛に繰り返し新しく、生かしていただきたい、そう願うものです。
