2024年4月21日 主日礼拝説教「墓にも届く救いの光」 東野ひかり牧師
詩編 第88編1~19節
マルコによる福音書 第15章40~47節
マルコによる福音書は、その冒頭「神の子イエス・キリストの福音の初め」と記して始まります。New English Bibleは、この冒頭の言葉を「ここに始まる、神の子イエス・キリストの福音 (Here begins the gospel of Jesus Christ the Son of God.)」と訳しました。マルコによる福音書の著者マルコは、これから自分が書き綴るのは、「神の子イエス・キリストの福音」である、そう宣言するように冒頭に記して、この福音書を書き始めました。
そのように始まるこの福音書を読み始めますと、読む者たちは第1章で、このマルコ福音書の口癖のような言葉に気づきます。「そしてすぐ」という言葉です。特にこの福音書の前半、第8章までの部分にこの言葉は目立ちます。それこそすぐに、「そしてすぐ」と出てくるのです。マルコという人はせっかちな性格だったのかと思うほど、「すぐ、すぐ」と書くのです。このことについてある人はこんなふうに言いました。〈マルコは「すぐ、すぐ」と言いながら、早く主イエスの受難物語を書き始めたいのだ〉と。
マルコによる福音書を学びますときに覚えさせられることのひとつに、マルコ福音書は第8章のペトロの信仰告白を境に、主イエスの十字架への道がはっきり描き出していく、ということがあります。マルコ福音書は、第8章を境に、主イエスがはっきりと十字架に向かうことを語り始めたと記します(8:32)。これ以降主イエスは、キリスト・メシアとしてのご自分の行く道は、「苦しみを受け十字架につけられて殺され三日目に復活させられる」その道であることをはっきりお示しになり、その道を一筋に進んで行かれるのです。
マルコによる福音書は、このことを早く書きたくて仕方がなくて、そして早く主イエスの十字架の出来事、そこに示される福音を語りたくて、「そしてすぐ、そしてすぐ」と、自分を急かすように口癖を連発して書いてきた、そういう福音書だと言ってもよいのです。この「そしてすぐ」が最後に現われるのが、第15章の1節です。「夜が明けるとすぐ」。文字通りに言えば「そしてすぐ、夜が明けると」。そのように書いて、マルコはいよいよ主イエスが十字架につけられて殺される、その場面を描いていきます。
私がマルコによる福音書からみ言葉の説教を語らせていただくようになりましてから、ちょうど4年になります。新型コロナが猛威を振るい始めた2020年の4月から、原則として月に一度、私がここに立たせていただきますときはマルコによる福音書を読んでまいりました。そして今朝は、第15章の終わりを読みました。十字架につけられた主が「死んで葬られた」その場面に至りました。
私たちは毎週、教会の公の信仰告白として、「使徒信条」を言い表します。「使徒信条」はこれ以上簡単にはならないと言ってもよいくらいに、集中した表現で、教会の信仰を言い表しています。しかしその中で、主イエスの死については丁寧に言葉を重ねています。「十字架につけられ、死にて葬られ、陰府に降り」と。「十字架につけられ、三日目に死人のうちよりよみがえり」でもよいところを、「死んで葬られ、陰府に降り」と、念を押すように言うのです。
こんなことを思わされました。「ここに始まる、神の子イエス・キリストの福音」と書き始めたマルコ福音書は、この主イエスの埋葬の記事を書き終えたところで、「ここに現わる、神の子イエス・キリストの福音!」と言いたい気持ちになったのではないかと。「ここに現わる、神の子イエス・キリストの福音!」想像に過ぎませんけれど、この15章を書き終えたところでマルコがそう叫んでいる声が聞こえるような気がしました。
福音とは、〈喜びの知らせ〉という意味です。福音書というのは、単なるイエス・キリストの伝記ではなくて、マルコの言い方を用いれば、「神の子イエス・キリストがもたらした喜びの知らせ」を書いた書物です。福音書は4つありますけれど、4つの福音書とも、それが告げる喜びの知らせの中核・中心は、主イエス・キリストの死と葬りとそして復活にあると語っています。そしてマルコによる福音書に関して、あえて言うならば、その中心軸は、主イエスの復活の出来事を描くことよりも、主イエスの十字架の出来事を描くことに傾いている、そう言いたくなる福音書です。もちろん、マルコ福音書が主の復活を重要視していない、ということではありません。けれど、マルコは主の復活について書くときも、(当然と言えば当然のことですが)「十字架につけられたナザレのイエス」が復活させられたのだということを大切に書いているように思われるのです(16:6)。マルコは、使徒信条の言葉で言えば、「十字架につけられ、死にて葬られ、陰府に降り」という、低く低く下降線を描く主イエスの歩みを描くことに力を注ぎ、ここに「神の子イエス・キリストの福音が現れている」と言いたいのではないか、そう思わされます。
「十字架につけられ、死にて葬られ、陰府に降り」と使徒信条は言い表します。福音書には、主イエスが陰府に降られた、という記事が書かれているわけではありません。しかし、4つの福音書は4つとも、十字架上で死んだ主イエスの死体、その遺体は、そのまま十字架上に放置されていて、そこから主イエスは復活なさった、というようには書かれてありません。ある人がこんなことを言っていて面白く思いました。〈もし十字架上から、みんなが見ている前で、復活なさったのであれば、もっとたくさんの人が信じただろうに〉。確かにそうかもしれません。しかしもちろん、4つの福音書ともにそんなことは書いてありません。主は死んで葬られた、墓に葬られたということを、ある意味とても丁寧に語っています。そこに主が陰府にまで降られた下降線を読み取るということもできるでしょう。
ところで、今日は15章40節から読みましたが、この40,41節には、マルコによる福音書においてこれまで登場して来なかった女性たちの姿が描かれます。女性たちは、男の弟子たちが皆逃げていなくなってしまった主イエスの十字架の場面に、「ガリラヤから、主の後に従い、仕えていた人々」として登場します。この女性たちは明らかに、主の死と、そして42節以下に記されている主の埋葬、そして16章に記される主の復活の〈証人〉として登場しています。
この時代のユダヤの社会において、女性の地位というのは、今の私たちには想像もできないほどに低いものだったと言われます。なんと言っても、人の人数を数える時に数に入らなかったのです。そういう女たちを引き連れているユダヤ教のラビ・教師などいなかったと言われます。しかし主イエスは、そういう女性たちが心を込めて主イエスや弟子たちのために食事を作り、洗濯をし、身の回りの世話をして仕えた、その愛の業を喜び、尊ばれたのでしょう。だからこそエルサレムにまで大勢の女性たちが主を慕い、主に従って来ていたのでしょう。そして十字架の主を遠くから見つめていたのです。この女性たちの主イエスへの愛は、affectionというような意味での愛—親愛の情、親しい愛情、親や兄弟姉妹や子どもたちに向かうような愛情—という意味での愛と言えるのかもしれません。
彼女たちは、愛する主の十字架の死を、おそらく胸を引き裂かれるような思いで見つめ、墓に葬られた主を見つめていたのではないかと思います。そして、愛を込めてせっせと主の身の回りの世話をしていた彼女たちだからこそ、安息日になる前に急いで葬られた主イエスの遺体には油も塗られておらず、香料も添えられていなかったことが気になったのでしょう。主が死んでしまったことに胸がつぶれそうになりながらも、愛する主の遺体をちゃんと整えてあげたい、最後まで主のお世話をしたい、そう思ったのでしょう。安息日が終わるのを待ち構えて、主の遺体に添える香料を買いに行ったと、16章1節にはそのような彼女たちの姿が記されます。
マルコはこの女性たちの名前を三度も書き記します(15:40,47,16:1)。多くの人が言います。マルコがこのように女性たちの名前を書き記したのは、彼女たちが最初の教会においてよく知られた人たちだったからだと。彼女たちは、主の死と葬りと、そして主の復活の証人とされました。人の数にも入らなかった、しかしひたすらに主を愛し、主に仕え、主に従った彼女たちこそが、ここには一人もいなかった男弟子たちに先立って、主の死と葬りと復活の証人として大きく用いられたのだと、マルコはこの女性たちの名前とともに書き記しているのです。主の遺体にまで愛をもって仕えようとした、この女性たちの姿に、「主の後に従った」弟子の姿を見ているのです。このような女性たちによって最初の教会は支えられました。私たちの教会にも、どこの教会にも、この女性たちによく似た姉妹たちがいることを思わせられます。
もう一人、ここにマルコが名前を記した人がいます。「アリマタヤ出身のヨセフ」です。この人が、総督ピラトに願い出て、十字架刑にされた罪人である主イエスの遺体を引き取り、墓に埋葬しました。このヨセフは「高名な議員」と紹介されています。「議員」ということは、主イエスを十字架につけることに賛成していた人たちの仲間と考えられます。女たちとは対照的に、地位も身分もあり、社会的な立場もあった人でした。ヨハネによる福音書は、このヨセフのことを、「イエスの弟子でありながら、ユダヤ人たちを恐れて、そのことを隠していたアリマタヤ出身のヨセフ」(ヨハネ19:38)と記しています。ヨハネ福音書は、このヨセフと、夜ひそかに主イエスを尋ねたニコデモという人が一緒に主イエスの遺体を墓に葬ったと記します。
このヨセフ—隠れた弟子であったヨセフ—が、自分の身分も立場も顧みず「思い切って」(新共同訳「勇気を出して」)、主イエスの遺体の引き取りをピラトに願い出ました。ピラトは、主イエスが「もう死んでしまったのかと不思議に思った」とあります(44節)。主イエスの死が、通常の十字架刑による死よりも早かったことを伺わせますが、ここで、主イエスは確かに死んだ、ということが確認されています。そして主イエスの遺体はヨセフに下げ渡されます。
ユダヤの暦では日没とともに日付が変わります。日付が変わると安息日になってしまう。もう夕方になっています。あと2時間もして6時頃になれば日が沈み、安息日が始まる。ヨセフは急いで、安息日になる前に、主イエスの遺体を墓に葬ります。急いでいたからといって、雑にしてはいません。主イエスの遺体を包むための新しい亜麻布をわざわざ買っています。そして恐らく自分と家族のために用意してあった、マタイによれば「新しい墓」(マタイ27:60)に、主イエスを葬るのです。
ある人が、このヨセフの行為は、あの百人隊長の信仰告白(15:39)を行動で表したものだと言いました。ヨセフは、主イエスの遺体を引き取り、自分の家の墓に丁寧に葬るという行為によって、「まことに、この人は神の子だった」という信仰を表したと言うのです。だからこそ、マルコはこの人の名前も書き記したと言えるのかもしれません。この人も、最初の教会においてよく知られる存在になったのかもしれません。マルコはこのヨセフを「自らも神の国を待ち望んでいた人であった」と紹介しています。ヨセフは、十字架につけられて死んだ主イエスのその死を見ていたでしょう。そして、この主イエスの十字架の死において「神の国=神の支配」が見えた。そういうことだったのではないかと思います。「神の国を待ち望んでいた」ヨセフは、主イエスの十字架の死において、神の国・神のご支配の実現を見たのです。このイエスというお方において神の国が来た、神の支配が来た、実にこの人こそ神の子、そう信じたその信仰を、ヨセフは主の埋葬という行為で表した、そう言ってよいのです。
マルコは、女性たちとヨセフの姿を描きながら、そして墓に葬られた主イエスを描きながら、「まことに、この人は神の子」だと示しているのです。
神の子イエスは、まことの人として、さらに罪人のひとりとさえなられて、私たち全ての者の罪を担って十字架につき、死んで墓に葬られました。4つの福音書は声をそろえるようにして、このことを丁寧に語ります。主イエスは墓に葬られた。それはひとつには、主の死が仮の死などではなくほんとうの死、真実の死であったことを言っていますが、主が墓に葬られてくださったということに、私は深い慰めを覚えます。まことにここに、私のための福音がある、喜びの知らせがあると、そのように思うのです。「ここに現わる、神のイエス・キリストの福音」という声が聞こえる気がするのです。主イエスは、十字架の上からそのまま復活なさったというのではなくて、主は墓に葬られ、墓にまで、そして陰府にまでその歩みを進めてくださいました。このことによって私たちは、私たちの誰もがいつか経験することになる自分の死と葬りにおいて、そこでも主が共にあると信じることができるのです。主もまた死んで葬られてくださった、そのことは、私たちの死と葬りが決して〈未知の世界へのひとり旅〉なのではないということを示すのです。
私たちは皆死んで、そして墓に葬られます。どのお墓に入るかは分かりませんけれど、いずれはどこかのお墓に入ることになる。その墓の中にも、私たちの罪を背負って十字架にかかって死んでくださった主イエス・キリスト、それによって私たちの罪を贖い、罪を取り除いてくださった主イエス・キリストの救いの光が射しているのです。このことは、私たちにとってまことに深い慰めであり福音だと思うのです。私たちが入るどのような墓も、私たちが赴く死の世界も、そこは「滅びの穴」ではないのです。全くの暗闇ではないのです。
今朝は旧約聖書から詩編88編を合わせて読みました。詩編88編の詩人は、死をほんとうに恐れています。死んで陰府に落ちることを心の底から恐れています。この詩人にとって、また旧約の人々にとって、死は神から切り離されることでした。最初の人アダム以来、人は皆、神に逆らい背く罪のゆえに死なねばならなくなりました。死は、罪ゆえの死であり、神から切り離された死の世界・陰府に落ちるということでした。陰府というのはすべての死者が赴くところです。その陰府には神の救いの光は届かない、そこでは神への感謝も賛美もささげられない。この詩人は、その死を恐れ、死者の世界である陰府に落ちることを深く恐れています。12,13節に「墓の中」「滅びの国」「闇の中」「忘却の地」という言葉がありますが、これらはみな陰府を指します。そこでは神への賛美もない、神の義=神の救いの御業も行われない。そこには神の御手が届かない、そう言います。そしてこの詩は絶望、「闇」で終わります。救いがないのです。
17あなたの憤りが私に襲いかかり/あなたの恐ろしさが私を滅ぼしました。
18それらは日夜、水のように私を取り巻き/一斉に私を取り囲みました。
19あなたは私から愛する者と友を遠ざけ/闇だけが私の親しいものとなりました。
この人がどういう状況にあったのかは分かりません。しかしこの詩人のことを、何か特別に悪いことをした、神の憤り・怒りを買うとてつもない悪行をした、そういう罪を犯した特別な人だと考えてはならないでしょう。そうではありません。この人は、全ての人が負っている神に背く罪、神に背を向ける罪、神を忘れて生きる罪、その根源的な罪ゆえに、神の憤りを受けて滅びて死ぬ、ということを深く恐れているのです。罪の問題が解決されないままで死ぬということは、こういう絶望の闇の中に落ちることだと、この詩人は深く知っているのです。使徒パウロが言った「罪の支払う報酬としての死」を死ぬことの恐ろしさを、この詩は語っているとも言えるでしょう。
私たちは、どうしてか分からないけれども死を恐れ、死を不安に思うということがあるでしょう。それは信仰に関わらずそうだと言えるかもしれません。ある人は、それは私たち人間が、根源的に神に背いている者であるからだ、と言いましたが、まさにそうであると思わされます。
主イエスが十字架の上から叫ばれた「わが神、わが神、なぜ私をお見捨てになったのですか」という叫びは、詩編88編の詩人が苦しんでいる「自分には闇しかない」という絶望の深みからの叫び、そう言うことができます。主イエスは、私たち全ての人間が訳が分からないままに恐れる、罪ゆえに死ぬその死の恐れを、私たち人間の誰よりも深く知ってくださいました。神に見捨てられ、呪われて死ぬ恐ろしさ、その絶望の底にまで降ってくださいました。主イエスは、すべての罪人の罪を担って、その罪ゆえに死ぬ死、「罪の支払う報酬としての死」の恐ろしさを味わわれました。それがどんなに恐ろしい死であったか、私たちにはほんとうには分からないと言わなければならないと思います。神の子イエス・キリストだけが、神の怒り・憤りを受けて死ぬという、全くの暗闇の中に堕ちる滅びの死を、ほんとうに死なれたのです。そして、まことにありがたいことに、神の子イエス・キリストが、そのように死んでくださったことによって、私たちすべての人間はもはや、さばかれ、呪われ、滅ぼされなければならない罪ゆえの死を死ぬことはなくなった。墓の中も、陰府も、主イエスの赦しの光、救いの光が届くところとなったのです。
今朝交読文で交読しました詩編139編は、詩編88編とある意味対照的な詩編です。詩編139編の詩人は、この陰府・滅びの穴の底にまで、神の御手が届いていることを不思議な仕方で感じ取って歌っています。「陰府に身を横たえようとも/あなたはそこにおられます。…闇もあなたには闇とならず/夜も昼のように光り輝く。/闇も光も変わるところがない。」(詩139:8,12) 墓の中にも、陰府の底にも、神がおられる。陰府の暗闇も昼のように光り輝く。この詩は、墓の中、滅びの穴、陰府にまで降り給うた主イエス・キリストの救いの光を指し示す不思議な詩編です。
神の子主イエスがまことの人として、しかも私たちの代わりに罪人として十字架に死なれ、墓に葬られてくださった、そのことによって、墓も、死の暗闇にも、救いの光が射し、真実に「闇も光も変わるところがない」と歌えるようになりました。まことにここに、「神の子、イエス・キリストの福音」が現わされていると思います。
私たちも、あの百人隊長、女たち、そしてアリマタヤのヨセフに続き、墓に葬られた主イエスを見つめて、「まことに、この人は神の子であった」と言い表したいと願います。