2024年3月10日 受難節第四主日礼拝説教「最後まで愛し抜く」 東野尚志牧師

ホセア書 第11章1~4節
ヨハネによる福音書 第13章1~11節

 ヨハネによる福音書は、第12章の終わりにおいて、一つの区切りが刻まれました。第13章からは、第2部と言いますか、福音書の後半部分が始まることになります。主イエス・キリストの受難と復活の物語へと進んで行くのです。第12章まで、主イエスは、ご自分のもとに集まって来た群衆を相手にして、教えを語り、不思議な業を行ってこられました。その不思議な業は、主イエスが誰であるかということを現わす「しるし」でした。主イエスこそは、父なる神から遣わされて、世に来られたメシア、救い主であることを現わす「しるし」であったのです。ところが、その不思議な力ある業を見て、主イエスがただ者ではないと感じながらも、群衆は主イエスを信じようとしませんでした。中には、主イエスを信じた者もいましたけれども、ユダヤ教の指導者たちの手前、自分の信仰を公にすることをはばかって、告白するには至らなかったというのです。
 主イエスは、群衆の前から立ち去って、身を隠されました。第13章からは、ご自身でお選びになった十二人の弟子たちを相手にして、大切な教えを語って行かれます。第13章の1節は、後半部分全体の序文の役割を果たしていると言ってもよいと思います。ヨハネは記します。「過越祭の前に、イエスは、この世から父のもとへ移るご自分の時が来たことを悟り、世にいるご自分の者たちを愛して、最後まで愛し抜かれた」。「過越祭の前に」と始まります。ヨハネによる福音書において、「過越祭」を数えるのは、3回目のことになります。それで、主イエスが公に伝道活動をされたのは、最後の3年間であったと考えられるようになりました。この3回目の過越祭の時に、主イエスは十字架にかけられ、殺されることになるのです。

 主イエスが十字架にかけられたのが、過越祭の時であったということは、決して、偶然ではありません。主イエスの十字架による救いは、かつてイスラエルの民がエジプトの奴隷生活から解放された救いの体験に重ね合わせられているのです。紀元前1300年頃のことになります。神は、モーセを指導者として遣わして、ご自身の民をエジプトから救い出されました。エジプトの王ファラオが心を頑なにして、イスラエルの解放を拒絶するたびに、エジプトに災いが襲いかかりました。その十番目の災い、最後、最大の災いが「初子撃ち」と呼ばれるものでした。主なる神はモーセを通してお命じになりました。エジプトを脱出する前日、家ごとに一頭の小羊を屠って、その血を家の入口の柱と鴨居に塗ること、そして、屠られた小羊の肉を種入れぬパンや苦菜と一緒に食べるのです。夜になると、死の使いがエジプト中を巡って、神に逆らうエジプト人の家の長男と家畜の初子を、ことごとく滅ぼして行きました。けれども、入口の柱と鴨居に小羊の血を塗ったイスラエル人の家は、死の使いが過ぎ越していったのです。これが、「過越祭」という呼び名の由来となりました。
 マタイとマルコとルカの共観福音書は、主イエスが弟子たちと一緒に食卓に着かれた最後の食事、いわゆる最後の晩餐を、過越の食事として位置づけました。主イエスご自身が、弟子たちと一緒に過越の食事をしようとして準備されたというのです。それに対して、ヨハネによる福音書は、過越の食事のために屠られた小羊に、十字架の主のお姿を重ね合わせていると考えられます。この福音書の第一章において、洗礼者ヨハネが、自分の方へ主イエスが来られるのを見て言いました。「見よ、世の罪を取り除く神の小羊だ」(1章29節)。さらにその翌日も言いました。「見よ、神の小羊だ」(同36節)。この小羊は、ただイスラエルの民をエジプトの奴隷状態から解放するというのではありません。この世に生きるすべての者を、罪と死の奴隷の状態から救い出すために、この世に来られた救い主です。ご自身が十字架にかかって血を流し、その流された血によって、すべての罪を贖ってくださるのです。

 16世紀に活躍したドイツの画家、マティアス・グリューネヴァルトの名前をご存じの方も多いと思います。この人の代表作と言ってよいのが、「イーゼンハイムの祭壇画」です。現在は、フランスのコルマールにあるウンターリンデン美術館に展示されています。もともとは、コルマール近郊のイーゼンハイムの聖アントニウス修道院のために描かれた祭壇画で、高さは3メートル以上、横は4メートルを超える大きなものです。その両翼が2組の開閉できるパネルになっていて、パネルを開くと、光り輝きながら、宙に浮かんでいる復活の主のお姿も現れるのですけれども、第1面に描かれた十字架像が最もよく知られています。暗闇の中に、十字架にかけられた主のお姿が浮き出るように描かれています。そのうつむいた顔は苦痛にゆがんでおり、体中にまるで皮膚病にかかっているかのようにたくさんの黒っぽい傷跡があり、細かい棘も刺さっている。脇からは血が流れ出ています。一度見たら忘れられないような凄惨な絵です。十字架の向かって左側には、主の愛する弟子に抱えられた母マリアの悲しみにくれる姿が描かれています。また屈んだ姿で、十字架を仰ぐように手を組んで見上げているもう一人のマリアの姿が描かれています。その脇には香油を入れる器が添えられていて、主イエスに香油を注いだ女であることを示しています。
 十字架を真ん中において、反対の右側には、洗礼者ヨハネの姿が描かれています。これは、現実的には、あり得ない構図です。主イエスが十字架にかけられる前に、洗礼者ヨハネは首をはねられていますから、主イエスの処刑の場面に立ち会うことはできません。その洗礼者は、左手には聖書を開いて持っており、右手で主の十字架を指さしています。そこにラテン語でヨハネによる福音書3章30節の言葉が記されています。「あの方は必ず栄え、私は衰える」。洗礼者ヨハネが語った言葉です。そのヨハネの足もとに、小羊の姿が描かれているのです。小さな十字架を抱えながら、胸から血を流している小羊の絵です。その流れ出た血は杯の中に注いでいます。それはまさしく、過越の犠牲の小羊を表わします。「見よ、世の罪を取り除く神の小羊だ」。十字架にかけられ、脇腹から血を流している主イエスこそは、世の罪を取り除く神の小羊として屠られた方であると証ししているのです。

 3回目の過越祭を迎えようとして、ついに時が来ました。「イエスは、この世から父の元へと移るご自分の時が来たことを悟り」とありました。ついに「時が来た」のです。主イエスにとって、それは、「この世から父の元へと移るご自分の時」であったと言います。主イエスは、父なる神のもとからこの世へと降って来られた方です。その主イエスが、父なる神の元へお帰りになる時が来たのです。けれども、「移る」という言葉で言い表されている内容は、決して、単純な場所の移動ということではありません。その移動の中には、あのグリューネヴァルトが描いた十字架の死があります。そしてまた、パネルを開いたところに現れる復活がある。この移動の中に、何という重い出来事があるでしょうか。神の独り子である主イエスは、捕らえられ、裁かれ、引き渡され、十字架にかけられ、死んで葬られる。三日目に墓の中から復活して、天に昇られる。それだけの重大な内容を含みながら、「この世から父の元へ移る」時が来たと語っているのです。
 過越の小羊として屠られる主が、ご自身の死と復活によって、死を突き抜ける命の道を開いてくださいます。ただご自分だけが、死から命へと移られるのではなくて、後に続く私たちも、死から命へと突き抜けて、父なる神の元へ行くことができるように、主イエスは、救いの道、命の道を開いてくださるのです。

 いよいよ、その時が来たことを悟られた主は、「世にいるご自分の者たちを愛して、最後まで愛し抜かれた」。ヨハネはそのように記します。今日の説教題は、この言葉から取りました。「最後まで愛し抜く」。以前の口語訳聖書では、「最後まで愛し通された」と訳していました。新共同訳聖書では「この上なく愛し抜かれた」と訳していました。「最後まで」「この上なく」。ここには、「終わり」を意味するだけではなくて、「目的」とか「完成」という意味を合わせ持つ「テロス」というギリシア語が用いられています。つまり、十字架の死に至るまで、徹底的に愛し抜かれた、極限まで愛し通された、ということであると同時に、また愛を成し遂げられた、と言ってもよいのです。主イエスの愛は、十字架にまで貫かれることによって、完成されたのです。
 私たち人間の愛は、実に頼りなく、揺さぶられると萎えてしまいそうになります。けれども、主イエスの愛は、決して変わることがありません。私たちが、主イエスを裏切り、主イエスに背を向けてしまうときにも、主イエスの愛は、決して揺らぐことなく、終わりまで貫かれます。十字架の苦しみの中でも、その愛が憎しみに変わることはないのです。このすぐ後に、イスカリオテのユダのことが出てきます。「夕食のときであった。すでに悪魔は、シモンの子イスカリオテのユダの心に、イエスを裏切ろうとする思いを入れていた」とあります。またこの段落の結びにも、「イエスは、ご自分を裏切ろうとしている者が誰であるかを知っておられた。それで、「皆が清いわけではない」と言われたのである」とあります。あるいはまた、ペトロの名前も出て来ます。ペトロもまた、どこまでも主に付いて行く、と言いながら、主を知らないと言ってしまうことを、私たちは知っています。主イエスを裏切ったのは、ユダだけではありません。一人去り、また一人去って、最後には一番弟子のペトロも去ってしまいます。けれども、主イエスの愛は、最後まで貫かれるのです。主イエスの愛は、揺らぐことなく貫かれて、完成されるのです。

 そのことは、「世にいるご自分の者たち」という言い方の中にも、よく現わされています。「世にいるご自分の者たち」と言えば、私たちは、主イエスに属する者たち、主の弟子たちのことを指していると思うかも知れません。実際、そう解釈したのでしょう。新共同訳聖書では、「世にいる弟子たちを愛して、最後まで愛し抜かれた」と訳していました。けれども、「ご自分の者」という言い方は、すでに、この福音書の第1章に出て来た言葉です。こう言われていました。「言は世にあった。世は言によって成ったが、世は言を認めなかった。言は自分のところへ来たが、民は言を受け入れなかった」(1章10~11節)。「自分のところへ来たが」と訳されていますが、これは、もう少し正確に訳せば、「言はご自分の者のところへ来たが、民は言を受け入れなかった」となります。そうです。主イエスは、「ご自分の者」であるはずの者のところに来られたにもかかわらず、その者たちが主イエスを受け入れなかったというのです。その結果、主は殺されてしまうのです。
 「ご自分の者」と呼ばれたからといって、主イエスに属し、いつも主イエスを愛し、主イエスに対する愛と真実を死に至るまで貫いた人たちということではありません。むしろ、話は逆です。主イエスのものであるはずなのに、主イエスに背を向け、主を受け入れようとしなかった者たちです。主は、そのような者たちであるにもかかわらず、いやそのような者たちであることをよくご存じの上で、なおも「ご自分の者」として、「最後まで愛し抜かれた」、「最後まで愛し通された」、「極みまで愛された」のです。それは、ただイスラエルの民を指しているだけではありません。神は、すべての命の造り主であり、すべての命を愛し、ご自分のものとして導いてくださいます。「世にいるご自分の者たち」というのは、私たちのことでもあります。主イエスの愛は、私たちの上にも貫かれています。主イエスは、私たちをも、愛し抜いてくださり、私たちに対する愛を貫いて、完成してくださったのです。

 この主イエスの愛を具体的に現わしているのが、その日、夕食の席で起こった出来事でした。福音書記者は記します。「イエスは、父がすべてをご自分の手に委ねられたこと、また、ご自分が神のもとから来て、神のもとに帰ろうとしていることを悟り、夕食の席から立ち上がって上着を脱ぎ、手拭いを取って腰に巻かれた。それから、たらいに水を汲んで弟子たちの足を洗い、腰に巻いた手拭いで拭き始められた」(13章3~5節)。主イエスは、食事の途中で、突然立ち上がられました。この時の主イエスの振る舞いは、その場の状況が目に浮かぶように、とても具体的に描かれています。立ち上がって、まず上着を脱いで身軽になってから、手拭いを取って、それを腰に巻かれたと言います。身支度が整ってから、たらいに水を汲んできて、弟子たちの足を洗って行かれたというのです。恐らく、そこには、十二人の弟子たちが全員揃っていたはずです。座っている順番でしょう、弟子たち一人ひとりの足に、水を注いで洗っては、腰に巻いておられた手拭いで拭いて行かれたのです。
 当時、客人が来たときに、その足を洗うのは、その家の奴隷の仕事であったと言われます。土埃の多いパレスチナの地域では、外を歩けば足が汚れます。家に着いたら、家の奴隷が足を洗ってくれるのです。けれども、すべての家に奴隷がいたわけではなかったでしょうし、仕事から帰って来た一家のあるじを迎えて、妻や子どもたちが、愛をもって足を洗うということも行われたようです。いずれにしても、そこには奉仕、愛による奉仕があります。ただし、主イエスの場合、その愛は、ただ外を歩いて汚れがついた足を洗うという行為に留まるものではありません。想像してみてください。もうすでに夕べの食事は始まっていました。恐らくは、皆がこの食事の行われる家に着いたとき、その家の奴隷か、家の人たちに足を洗ってもらっていたはずです。あるいは、自分で足を洗ったかも知れません。それなのに、主イエスは、食事の途中で、弟子たちの足を洗い始められたのです。

 主イエスが、突然、弟子たちの足を洗い始められたとき、弟子たちはびっくりしたと思います。一番最初の弟子が、どんなふうに反応したのか、聖書には何も書かれていません。自分たちの先生である主イエスが、自分たちの前にかがみこんで、足を洗って手拭いで拭いて行かれたのです。びっくりして、恐縮しながら、それでも主イエスがなさるのですから、大事な意味があるのかと思って、それに従っていたのではないでしょうか。わけも分からないまま、主イエスにされるがままであったのかもしれません。何番目であったのかは分かりません。順番が進んで、ペトロの番になりました。すると、ペトロは、「主よ、あなたが私の足を洗ってくださるのですか」と言ったといいます。そのまま洗っていただくのは居心地が悪いと思ったのでしょう。ペトロの気持ちはよく分かります。自分の汚れた足を洗っていただくのは申し訳ないと思ったのでしょう。恐れ多いと思ったのです。
 けれども、主は言われました。「私のしていることは、今あなたには分からないが、後で、分かるようになる」。それでも気がおさまらずに、ペトロは言いました。「私の足など、決して洗わないでください」。すると、主は言われました。「もし私があなたを洗わないなら、あなたは私と何の関わりもなくなる」。「何の関わりもなくなる」と言われて、ペトロは慌てたのだと思います。「主よ、足だけでなく、手も頭も」。主イエスとの関わりをもっと深くしたいと思ったのかも知れません。ペトロらしいおっちょこちょいな言葉とも思えます。それに対して、主は言われました。「すでに体を洗った者は、全身清いのだから、足だけ洗えばよい。あなたがたは清いのだが、皆が清いわけではない」。この主イエスの言葉に、ヨハネは注をつけるのです。「イエスは、ご自分を裏切ろうとしている者が誰であるかを知っておられた。それで、「皆が清いわけではない」と言われたのである」(13章11節)。
 ペトロと主イエスのやり取りは、私たちが、主イエスとどこで関わり、どこでつながるのかということを、よく現わしています。主イエスの教えを聞いて、心惹かれる人は多いと思います。主イエスの教えは、不思議な権威をもって、私たちの心に刺さります。もっと聴きたいと、と思う人もいるでしょう。あるいは、主イエスが行われた愛の業、それを模範として、主イエスについて行こうと思う人もいるでしょう。けれども、私たちが、主イエスと決定的につながるのは、主が、私たちの足を洗ってくださったということにおいてなのです。この出来事が象徴的に現わしているのは、主が、私たちの罪の汚れを洗い清めてくださったということです。私たちが自分ではどうすることもできない罪の汚れを、主イエスは、ご自身の血によって洗い清めてくださいました。主が私たちの前に身をかがめるようにして、私たちに仕えてくださった。あの十字架の出来事においてこそ、私たちは主イエスと決定的につながっているのです。

 主が足を洗ってくださったこと、それは、同じように水を用いる洗礼の恵みを指し示していると言ってよいのかもしれません。洗礼はただ一度です。繰り返されることはありません。このただ一度の洗礼によって、私たちの罪は洗い清められます。そして、洗礼を受けた者は、聖餐の食卓に与るようになり、聖餐の恵みによって信仰を養われていくのです。ヨハネの福音書には、他の福音書と違って、最後の晩餐における聖餐制定の場面が描かれていません。それに代わるものとして、この洗足の出来事が描かれていると言ってよいのかもしれません。主に足を洗っていただく。そこから始まる主イエスとの確かな関わりが、私たちの信仰を保ってくださいます。私たちの中には何の確かなものもありません。しかし、主イエスの愛の中に守られています。途中で諦めることなく最後までこの上なく愛し抜き、貫かれる主の愛によって支えられているのです。
 きょうは、礼拝に引き続いて、臨時役員会が開催されます。今月の末のイースターの礼拝において、洗礼を受けようと志願している人たちの面接試問を行います。洗礼を受けて、主イエスにつながる者になりたい。私も主に洗っていただきたい。そう願う信仰の思いが、生涯を通して守られることを願います。私たちの思いも志も不確かであり、途中で途切れそうになることがあっても、主の愛は貫かれます。主が愛し抜いてくださるから、私たちも主の愛に応えていきたいのです。私たちの信仰の志は、主ご自身の愛の中で守られ、貫かれていきます。その恵みを信じて、私たち自身を主にお献げしたいと思います。主が完成してくださった愛に守られて、私たちも、主を愛する者として、また互いに仕え合う者として、主の愛の中で生かされていくのです。その信仰の歩みが洗礼から始まり、聖餐において養われながら、生涯通して貫かれていくようにと、心から願います。