2024年12月29日 主日礼拝説教「主よ、今こそお言葉通り」 東野尚志牧師
イザヤ書 第52章7~10節
ルカによる福音書 第2章22~38節
主の年2024年の最後の主の日を迎えました。先週の日曜日、12月22日には、クリスマスの礼拝を行いました。24日の火曜日には、クリスマス・イヴの讃美礼拝を行いました。世の中は、もうクリスマスを終えて、新年を迎える態勢に入っているように思われます。けれども、教会では、まだクリスマスは続いています。年が明けて、1月6日の次の日曜日までは、降誕節が続くのです。1月6日は、教会の暦においては、「公現日」と呼ばれます。公に現れた日、と記します。「顕現祭」と呼ぶ教会もあります。西方教会の伝統では、この日に、東から来た博士たちが幼子イエスを礼拝したことを記念するのです。
今年は12月に入ってから、ルカによる福音書の降誕物語を読み続けてきました。天使ガブリエルによるおとめマリアへの受胎告知から始まりました。その後は、「マグニフィカート」と呼ばれるマリアの賛歌、「ベネディクトゥス」と呼ばれるザカリアの賛歌のところを読みました。そして、クリスマス礼拝においては、「グローリア」と呼ばれる天使と天の大軍による賛歌を味わいました。ルカによる福音書の降誕物語は、賛美の歌に彩られています。すでにお気づきだと思いますが、今日の箇所にも賛美の歌が綴られています。クリスマスの結びの歌、そう呼んでもよいと思います。クリスマスの御子と出会った証人の歌が歌われるのです。
エルサレムの神殿で、幼子イエスを迎えたのは、年老いた2人の男女でした。シメオンとアンナです。確かに、アンナについては、非常に年をとっていた、と書かれており、若い頃に夫に先立たれて長いやもめ暮らしを送り、84歳になっていた、とあります。ところが、一方のシメオンについては、実は、この人が何歳であったのか、聖書には何も記されていません。それでも、教会の伝統の中で、シメオンもまた老人であると考えられてきました。それは、この人が聖霊によって、「主が遣わすメシアを見るまでは死ぬことはない」というお告げを受けていたこと、そして、神殿に連れられて来た幼子イエスを腕に抱いて、「主よ、今こそあなたはお言葉どおりこの僕を安らかに去らせてくださいます」と歌ったことによっています。幼子イエスと出会って、「ああ、これでもう死んでも良い」と口にしたのです。救い主に会うことを待ち望みながら、何年も何年も、年を重ねてきたのであろうと、考えられてきました。
シメオンについては、さらに「この人は正しい人で信仰があつく、イスラエルの慰められるのを待ち望」んでいた、と記されています。慰めを待ち望みながら生きて来たのです。もしも、既に慰めを得ていたなら、こういう言い方はしません。つまり、慰めを見いだすことができないまま、慰めを得ることができないまま、待ち望み続けて来た、ということです。本当の慰めを見いだすまでは死ぬこともできない。救い主に会うまでは、慰めのない現実を担いながら、平安のない生活に耐えながら、待ち続けなければなりませんでした。その点は、アンナも同様であったと思います。夫に先立たれ、長いやもめ暮らしをしながらも、「神殿を離れず、夜も昼も断食と祈りをもって神に仕えていた」とあります。何を祈っていたのでしょうか。恐らくは、シメオンと同じように、イスラエルが慰められることを神に向かって祈り求めていたに違いないのです。
シメオンとアンナは、来る日も来る日も、エルサレムの神殿にやって来ました。今日こそは、主なる神がお遣わしになる救い主に会えるだろうか。今日こそは、真実の慰めと望みを受けることができるだろうか。その期待と祈りをもって毎日神殿に詣でて、ひたすら神に仕えていたのです。シメオンとアンナは、ただ、自分や自分の家族のことだけを考えていたのではありません。神によって造られた世界が、嘆きと悲しみと痛みに満ちている。すべての民の祝福の基となるべく選ばれた神の民イスラエルが、なおもまことの慰めを見いだせないままで、呻いている。救いを見いだすことができないままに、その信仰がどんどん荒れ果てていく。そういう厳しい現実を目の当たりにしながら、イスラエルが慰められるのを待ち望み、祈っていました。それは、自分のための祈りではありません。傷つき呻くイスラエルの民とこの世界のための執り成しの祈りです。
シメオンとアンナが、今のイスラエルと世界の姿を見たら、何を思うでしょうか。すべての民の救いの基となるべく選ばれたイスラエルが、むしろ、紛争の渦の中心にいます。この世界に痛みと恨みと争いをもたらし、嘆きと悲しみを生み出しています。二千年前と同じように、いやそれ以上に、世界は、争いや災害のために深く傷つき呻いています。本当の慰めと救いを見いだすことができないままに、不安と恐れに捕らわれています。私たちにも、深い悔い改めと執り成しの祈りが求められているのではないでしょうか。傷つき悩み苦しんでいる世界の現実を前にして、ただ嘆いているだけでは何も変わりません。この現実のただ中から、神に向かって真剣に祈り求めることが大事なのです。
預言者が記していたとおりに、ユダヤのベツレヘムで生まれた救い主メシア、キリストは、天使が告げたとおりに、飼い葉桶の中に寝かされていました。そして、生まれて8日目、神の民の一員としてのしるしである割礼を施されました。その際、前もって天使が命じていた通り、イエスと名づけられました。そして、モーセの律法に定められた清めの期間が満ちたとき、ヨセフとマリアは幼子イエスを連れてエルサレムに上りました。それは、長子、長男として与えられた子を、神さまにお献げするためでした。ここで言う「清めの期間」というのは、子どもを生んだ後の40日間を指します。子どもを産んだ母親は、40日の間は汚れているとされて、公の場に出ることはできなかったのです。
「汚れている」などと言うと、差別的だと思われるかもしれません。しかし、そのように見なすことで、日常的なさまざまな務めからは解放され、いろんな仕事を免除されました。その意味では、現実的に見れば、出産休暇、産休のようなものだと考えてよいかもしれません。出産に関わる一つの知恵と見ることもできます。マリアとしては、旅先での出産を終えて、産後すぐにナザレに帰れるわけではありませんでした。恐らくは、ベツレヘムの近くに滞在しながら、幼子イエスと共に、40日の間、それまでの一連の出来事を思い巡らしながら、静かな祈りの時を過ごしていたのではないかと思います。
そしてついに、「モーセの律法に定められた清めの期間」が明けました。これでようやく、自分たちの家に帰るために、ナザレに向けて旅立つことができます。しかし、その前に、どうしてもしなくてはならないことがありました。それは、律法の掟に従って、初めての子を主に献げることです。日本的に言えば、「お宮参り」ということになるでしょうか。イスラエルにおいては、初めての子、すなわち長男は、神のものとされていました。この規定は、かつてエジプトで奴隷の生活をしていたイスラエルが解放された出来事に遡ります。エジプトに対する裁きとして、モーセの手を通して、エジプトに、数々の災いがもたらされました。しかし、そのたびに、エジプトの王は心を頑なにしてイスラエルを解放せず、ついに、最後、10番目の災いが臨みます。それが、初子打ちと呼ばれる災いです。その夜、エジプト中の初子が撃たれました。人間の長男だけではなくて、家畜の初子まで、ことごとく撃たれて死んだのです。しかしそのとき、イスラエルの家の戸口には、あらかじめ命じられた通りに、屠られた小羊の血が塗られていました。このしるしのある家だけは死の使いが過ぎ越して行きました。それで、イスラエルの家の初子は撃たれずに済みました。この出来事を通して、イスラエルの民はついにエジプトから脱出することができたのです。
この救いの出来事に基づいて、イスラエルの家の初子、つまり長男は、神さまのものとする信仰が生まれました。長男を神さまにお献げして、改めて、神さまによって聖別された子どもとして受け取り直す。その子の命の代わりとして、動物の犠牲を献げたのです。本来は、子どもの命の贖いですから、小羊一頭を献げることになっていました。けれども、貧しい家は、鳩でもよいことになっていたようです。ヨセフの家は貧しかったのでしょう。それで、「山鳩か家鳩」を献げることにしたのです。ルカがここに、わざわざ長男の贖いの記事を記しているのは、恐らく、主イエスこそが、新しい神の民、神の家族の長子となられたことを示そうとしているのだと思います。長男である主イエスが献げられたことによって、神の家全体が祝福のもとにおかれます。主イエスに従う信仰者すべて、私たちすべてが、神の家族の一員として、主イエスによる祝福と救いにあずかることができるのです。
幼子イエスを初子として、神さまにお献げする。そのために訪れた神殿において、思いがけない出会いが起こります。神殿の境内で、マリアとヨセフに抱かれて幼子イエスがお出でになるのを、待っている人がいたのです。恐らく、その日も、エルサレム神殿の境内は、たくさんの人が出入りしていたはずです。数多くの巡礼者の中に紛れるようにして、幼子イエスを抱いた若い夫婦が貧しい身なりで境内に入ってきました。そのとき、シメオンは、この幼子こそ、主がお遣わしになったメシアである、と見抜いたのです。もちろん、それは聖霊の導きによることです。聖霊がシメオンにとどまっていたと言われています。「主が遣わすメシアを見るまでは死ぬことはない」というお告げを聖霊から受けていました。シメオンは、聖霊の導きを受けて、救い主と出会ったのです。救い主にお会いするのを、今日か明日か、と待ち続けていたシメオンは、どれほど真剣に祈ってきたことでしょうか。長く待っている間には、「主よ、いつまでなのですか」、「主よ、いつまで待たなければならないのですか」、そういう嘆きと呻きを何度も口にしたに違いありません。しかし、幼子イエスを腕に抱いたとき、シメオンの口からは、呻きや嘆きではなく、喜びに満ちた、賛美の歌があふれ出しました。
シメオンは歌います。「主よ、今こそあなたはお言葉どおり この僕を安らかに去らせてくださいます。私はこの目であなたの救いを見たからです。これは万民の前に備えられた救いで 異邦人を照らす啓示の光 あなたの民イスラエルの栄光です」。シメオンの賛歌と呼ばれます。ラテン語の最初の歌い出しの言葉をとって、「ヌンク・ディミティス」と呼ばれています。「主よ、今こそあなたはお言葉どおり この僕を安らかに去らせてくださいます。私はこの目であなたの救いを見たからです」。もうこれで死んでよい、と歌うのです。長く待ち望んできたイスラエルの慰めを、腕に抱いた幼子の中に見たからです。長くイスラエルの慰めを待ち続けてきた。そのすべての日々が満たされ、その祈りが報われた。確かに、形の上では、シメオンの腕が、幼子イエスを抱き抱えています。けれどもこのとき、シメオンの生きてきた日々、その苦しみも嘆きも、呻きも叫びもすべてが、幼子イエスによって受けとめられています。シメオンの命が、神の御子の命に包み込まれているのです。
もう、死んでも良い。シメオンは、もう十分に年をとっていたから、そう言えたのでしょうか。そうではないと思います。人間というのは、いくつになっても、本当は死ぬのが恐いのです。もう、死んでも良い。シメオンがそのように言い切れたのは、自分の死をさえも飲み込んでしまうような、命の充満、新しい命の祝福の到来を見たからだと思います。幼子として来てくださった神の独り子の中に、「万民の前に備えられた救い」、「異邦人を照らす啓示の光」を見たからです。シメオンは、主イエスの存在に、万民の救い、つまり、イスラエルだけではなくて、異邦人までも救わないではおかない神さまの深い愛の御心を見たのです。その啓示の光に照らし出されたのです。
この「ヌンク・ディミティス」と呼ばれるシメオンの賛歌は、西方教会の伝統では、一日の終わりの祈り、晩祷の時に毎日、歌われるようになりました。一日が終わり、床に就きます。明日の朝、目を覚まさないかもしれない。しかし、それでも自分は満足だ。主イエスの救いを見たのだから。中世の修道院の平均寿命は、40才に満たなかったと言われます。そこで、この歌が毎日歌われていたのです。シメオンも、もしかしたら、老人ではなかったかもしれません。老年であろうと、熟年であろうと、壮年であろうと、あるいはまた、青年であろうと、本当の救いを見たとき、命の充満に包まれたとき、もう、死んでもよい。そういう平安をもって、新しく生きることができるのです。
しかしながら、私たちは、万民のための救いがどのようにしてもたらされるのか、この地上に来られた救い主の歩みを知っています。私たちが、命の充満とまことの平安にあずかるために、この世に来られた救い主が辿られた道は、まさに茨の道でした。シメオンが幼子イエスの中に見た神の救いが実現するために、主イエスは苦難の道、十字架の道を歩んで行かれます。シメオンは、母マリアに告げました。「御覧なさい。この子は、イスラエルの多くの人を倒したり立ち上がらせたりするためにと定められ、また、反対を受けるしるしとして定められています。剣があなたの魂さえも刺し貫くでしょう。多くの人の心の思いが現れるためです」。主イエスの十字架の前で、私たちの心にある思いが顕わになります。主イエスの十字架において、私たちの抱えている罪が顕わになるのです。
そして、同時に、その自分ではどうすることもできない罪を、神の独り子である主イエス・キリストがすべてその身に背負ってくださいます。主イエスは、屠られた犠牲の小羊となって、罪の裁きとしての死が私たちを過ぎ越すようにしてくださいました。主は、私たちすべてのために、十字架の苦しみを引き受けてくださり、私たちの身代わりとなって死んでくださいました。それによって、私たちは、死の支配から解放され、それゆえに、生への執着からも自由になって、自分自身の命を主にお献げして生きるものとされるのです。さらには、死人の中から復活されられた主に合わせられて、復活の命の輝きを望み見る。そこにこそ、主が万民の前にお備えくださった救いが実現するのです。
「主よ、今こそあなたはお言葉どおり この僕を安らかに去らせてくださいます。私はこの目であなたの救いを見たからです」。「お言葉どおり」。そうです、神の言葉が実現するのです。おとめマリアの告白とも響き合います。マリアは天使に答えて言いました。「私は主の仕え女です。お言葉どおり、この身になりますように」。マリアの手から幼子イエスを託されたシメオンは、幼子イエスを中心にして、マリアと向かい合っています。「主が遣わすメシアを見るまでは死ぬことはない」と告げられていたシメオンは、この幼子に救い主メシアを見たのです。そして、歌いました。「主よ、今こそあなたはお言葉どおり この僕を安らかに去らせてくださいます。私はこの目であなたの救いを見たからです」。
宗教改革者カルヴァンは、この歌を聖餐式の後で歌うように式文を整えました。まさに私たちは、シメオンが幼子イエスをその腕に抱いたように、主イエスのお体であるパンをいただき、主イエスの命そのものである杯にあずかります。聖餐の食卓において、私たちもまた、救い主を私たちの腕に抱くようにして、私たちのための救いを見るのです。その救いに触れて、救いを味わう。今、ここに、まことの平安があり、命の充満がある。今こそ私たちは、安らかに去ることができる。それゆえにまた、安らかに生きることができるのです。
クリスマスのときに、何人かの親しい方たちの訃報が届きました。地上の別れの寂しさを覚えます。私たちにしても、いつ、主のみもとに召されることになるか、分かりません。自分でその時を定めることはできません。主がお定めになります。しかし、たとえ、今日のこの礼拝が、私たちにとって、地上で最後の礼拝になるとしても、安心して安らかに去って行くことができます。私たちの去りゆく場所も、主がご自身の御そば近くに、備えていてくださるからです。地上の別れは、やがて、主のみもとでの、復活の体における再会につながることを信じることができるのです。すべてを 主に委ね、今、与えられたこの命を、主に向かって生きるものでありたいと願います。