2024年11月3日 召天者記念礼拝説教「天の故郷にあこがれて」 東野尚志牧師
ヘブライ人への手紙 第11章1~16節
本日の礼拝は、お手元の週報にも記してありますように、「召天者記念礼拝」としてささげています。私たちの教会が属している全体教会としての日本基督教団の暦において、11月の第一の日曜日は、「聖徒の日(永眠者記念日)」とされています。教団で出しているカレンダーや手帳には、はっきり「聖徒の日(永眠者記念日)」と印刷されています。しかし、私は以前から、「永眠者」という呼び方には疑問を抱いていました。そのことはこれまでにも、何度か申し上げたことがあります。確かに、しばしば、死は「永遠の眠り」と呼ばれます。夜になれば眠り、朝になれば目覚める、その日常的な眠りになぞらえるようにして、しかし、それとははっきり区別する意味で、死を「永遠の眠り」と表現してきました。もはや目覚めることはないからです。
けれども、聖書的に、信仰的に考えれば、死という眠りもまた、決して、永遠に続くわけではありません。眠りから覚める時が来るのです。復活の朝が来ます。主イエスが、私たちの名を呼んで、「起きなさい。よみがえりの朝だよ」と告げてくださいます。終わりの日には、死の眠りからも覚めるのです。もしも、「永眠者」という言葉を用いるとすれば、終わりの日のよみがえりの時までは眠っている者という意味に限定する必要があります。ひと言、説明が必要になるのです。そんな思いもあったのではないでしょうか。滝野川教会においては、「永眠者」という言葉に替えて、「召天者」という呼び方が用いられてきました。
ただし「召天者」と言いかえても、別の誤解が付きまとうかもしれません。読み方は同じで、意味の異なる言葉があり、そちらの方が一般的だからです。召天者記念礼拝というときの「召天」は、「天に召される」と書きます。ところが、「天に昇る」と書く「昇天」も、耳で聞いたら同じです。もちろん、その意味するところは全く違います。決して、混同してはなりません。「天に昇る」と書く「昇天」は、イエスさまだけに用いることのできる言葉です。ご自分の力で天に昇ることが出来たのは、主イエス・キリストただお一人だけだからです。私たち人間は、自分の意志や自分の力で天に昇るのではなくて、神さまによって、天へと召していただくのです。そういう意味での「召天者」、天に召された者たちを記念する礼拝、それが、召天者記念礼拝という言葉の意味するところとなります。
ただし、漢文の素養のある人の中に、「召天」と書いて、天に召されると読むのには無理があるという指摘をされる方もあります。「召天」と書くと、「天を召す」ということになって意味をなさないというのです。これもキリスト教の世界だけで通用する特殊な用語ということになるかもしれません。むしろ、誤解のないように、逝去者という言葉を用いた方がよいのかもしれません。けれども、信仰に生きている者たちの中には、天に召される、という言葉の響きを大切にしたいという感覚もあるのだと思います。天に召されるというのは、神さまが私たちをみもとに召してくださることだからです。私たちは、死の力に呑み込まれて、陰府の暗闇の中に転がり落ちていくのではありません。地上の命を終えて、神が私たちをご自身のみそば近くに召してくださるのです。
今日は、この召天者記念礼拝を終えた後、狭山湖畔霊園の中にある滝野川教会墓地に移動して、墓前礼拝を行います。いささか慌ただしいスケジュールではありますけれども、教会の墓地というのは、天に召された先達を記念するために、もっともふさわしい場所だと言ってよいかもしれません。そこには、私たちに先立って、天に召された信仰の仲間たちの遺骨が納められています。そして、今日はそこに、新たに3人の姉妹たちの遺骨が加えられます。新たに、3人のお名前が、墓誌に刻まれました。墓誌に刻まれた一つひとつのお名前、それは、終わりの日、眠りから覚めることを待っている信仰の仲間たちのリストだと言ってもよいのです。
特に、このたびは、教会の創立120周年を記念して、墓誌の増設工事が行われました。これまで、墓地の正面にある十字架の立つ墓碑の両側に、召天者のお名前と天に召された日付が刻まれてきました。左側から始まって右端の最後の列になりました。あと数名でいっぱいになってしまいます。そこで、120周年以後の教会の将来を見据えていく事業として、墓石を増設することにしたのです。教会墓地の左右の境界線の内側に、新たに3枚ずつ、6枚の墓石が立てられました。その内側だけに名前を刻んでいっても、あと300名は刻めます。装いを新たにした教会墓地を、ぜひ、多くの方に見ていただきたいと願っています。本日、納骨される3名の姉妹のお名前は、正面の墓石の右端の列に加えられました。新しい墓石に最初に名前を刻まれるのはどなたになるのでしょう。楽しみに待つのも変ですけれど、そこには引き続き、眠りから覚めるのを待つ人たちの名が加えられていくことになるのです。
教会の歴史は、そこに生きた教会員の歴史でもあります。滝野川教会が聖学院神学校の中に設立されてから、今年で120周年を迎えました。さすがに120年ですから、その初めからすべてを経験している人は、この地上にはもはやおられません。滝野川教会の設立に携わった人たちは皆、すでに、天に移されています。教会が墓地を持たなかった時代には、それぞれの家の墓地や、関係団体の墓地に葬られたのだと思います。先人たちの労苦の末に、教会の墓地が立てられてからは、多くの先達が、教会墓地の中に葬られてきました。墓地という場所は、非常に具体的に、先人たちの名前を思い起こす場所であり、教会の歴史を顧みる場所です。それぞれの生きた歩みは異なります。けれども、召された人たちは皆、主イエス・キリストに結び合された信仰者であり、主イエス・キリストを通して互いに結び合された神の家族です。生まれも育ちも違います。けれども、主に結ばれて、神のものとされたのです。
120周年を記念して、墓地の改修と合わせて計画されたのが、証し集の発行です。当初から、「証し集2」と呼ばれてきました。今から32年前、1992年には、その前の年にこの礼拝堂を含む会堂の建築が終了し、献堂されたのを記念して、『神の恵み―われらここに生きる』という証し集が刊行されました。それから30年以上の時を経て、120周年を共に祝う教会の姿が現れることを願って、「証し集2」の刊行が企画されたのです。30年前の証し集にご自身の証しを寄せてくださった方たちの多くは、天に召されています。今年配付される「証し集2」には、それから30年を経た現在の教会の姿が映し出されています。そこに将来への望みがあります。教会墓地の改修と、証し集の発行、この2つの事業は、教会の過去と現在をつないで、将来へと思いを馳せる業であると言ってよいのです。
今日、この記念礼拝のために選んだ聖書の御言葉は、ヘブライ人への手紙第11章であります。朗読したのは、16節までの前半部分だけですけれども、この第11章は、しばしば、信仰者列伝と呼ばれます。旧約聖書に登場する信仰者たちのことが覚えられ、多くの名前が挙げられています。先ほど朗読した前半部分だけでも、アベル、エノク、ノア、アブラハム、イサク、ヤコブ、そして、アブラハムの妻であったサラの名前が出てきます。さらに17節以下の後半に進めば、アブラハムとイサクに始まり、ヤコブとエサウ、ヨセフ、そして、イスラエルの民をエジプトの奴隷生活から導き出したモーセ。さらには、約束の地に住むようになった後、イスラエルの民を裁くために神が遣わされた多くの士師たち、また預言者たちのことが覚えられているのです。
多くの信仰者たちの名前を挙げて、その信仰による生涯を描いていく中で、この手紙が語ろうとしているのが、13節以下の言葉です。「この人たちは皆、信仰を抱いて死にました。約束のものは手にしませんでしたが、はるかにそれを見て喜びの声を上げ、自分たちが地上ではよそ者であり、滞在者であることを告白したのです」。私たちは、ここに掲げられた名前のリストに続けて、私たちの教会の先人たちの名前をも加えてよいのだと思います。旧約聖書以来の信仰に生きた者たちの群れの中に、信仰を抱いて天に移された者たちの中に、愛する者たちを加えることができる。教会の歴史は、そのような信仰者たちの名前が刻まれた歴史なのです。
ところで、ヘブライ人への手紙は、神の民の歴史を担った信仰者たちの最後を見つめながら、「この人たちは皆、信仰を抱いて死にました」と語ります。ここを読んで、疑問を持たれたことはないでしょうか。聖書はどうして、「信仰を抱いて死んだ」というのでしょうか。どうして、「この人たちは皆、信仰を抱いて生きた」と言わないのでしょうか。たとえば、墓前礼拝で納骨される千葉ゑみさんの義理の父にあたる千葉儀一牧師は、信仰者として、伝道者として、多くの働きをなさいました。滝野川教会の歴史の中で、戦前から戦中、戦後と、その激動の時代を導かれました。揺らぐことのない確かな信仰をいだいて、伝道の困難な時代も生き抜かれた。私たちもその模範に従って、信仰を抱いて生きていこう。その方が、本当は分かりやすいのではないでしょうか。しかし、聖書は、「信仰を抱いて生きた」というのではなくて、「信仰を抱いて死んだ」と証しするのです。「信仰を抱いて生きた」というだけでは、十分ではないと考えたのかも知れません。むしろ、「信仰を抱いて死んだ」と言われることに、とても大事な意味があるのではないかと思うのです。
信仰というのは、私たちが生きている間だけのことではありません。私たちがこの世を生きる何十年かの人生、その間だけ神さまを信じて、それによって人生の支えや慰めを与えられればよい、そんなことではないのです。そこには、私たちがしばしば陥りがちな信仰上の間違いが隠れていると言ってよいかもしれません。神さまを信じる信仰においても、結局は自分が生きている間のこの世の人生のことしか考えていない、ということが起こるのです。今のこの人生において、悲しみや苦しみから救われ、痛みからも守られ、精神的にもまた物質的にも恵みを与えられて、まあそこそこに幸せで平安な人生を送れればそれでよい。そのために神さまを信じ、信仰を持つ、ということの方が、もしかしたら、私たちには分かりやすいのかもしれません。しかし、そのような、この世限りの信仰によっては、「生きる」ことしか見えません。「死ぬ」ことを見つめることができないのです。むしろ、死からは、できるだけ目をそらしていくことになってしまいます。
けれども、本当の信仰は、私たちがそれによって生きることができるだけではなくて、それによって死ぬことができるものであるはずです。『ハイデルベルク信仰問答』は、その冒頭の問答において問うています。「生きるにも死ぬにも、あなたのただ一つの慰めは何ですか」。生きているときだけではない。死ぬときにも、決してむなしくなることのない確かな慰めを問うたのです。そして、答えて言います。「わたしがわたし自身のものではなく、体も魂も、生きるにも死ぬにも、わたしの真実な救い主イエス・キリストのものであることです」。そこには、死をごまかさずに見据えながら、死をも突き抜けて、救いの完成を望み見る信仰のまなざしが貫かれているのです。
「この人たちは皆、信仰を抱いて死にました」。それは決して、消極的な、悲しい、不幸なこととして語られているのではありません。「信仰を抱いていたけれども、結局は死んでしまった。信じていても何にもならなかった」ということではないのです。御言葉は、がっかりして、すでに終わってしまった過去を振り返っているのではありません。むしろ積極的に、死を突き抜けた将来を見つめます。だから、続けて語るのです。「約束のものは手にしませんでしたが、はるかにそれを見て喜びの声を上げ、自分たちが地上ではよそ者であり、滞在者であることを告白したのです」。この地上においては、救いの完成を手に入れることはできませんでした。たとえ93歳まで長く生きられた大木英夫先生といえども、この地上の歩みにおいて、完成に至ることはありませんでした。すべてを成し遂げて、何の心残りもなしに死を迎える、などということは望むべくもありません。むしろ、人生の途上において死を迎える。やりかけて、やり残したことがたくさんあるのです。自分ではできないことは、後に託していくしかありません。
人生の途上における死が、不幸だと言うことではありません。御言葉はむしろ、約束のものをまだ手にしていなかった人たちが、はるかにそれを見て喜びの声をあげたと語ります。なぜなら、約束をしてくださった方は真実な方であり、お始めになった業を、必ず成し遂げてくださることを信じているからです。そう信じるからこそ、まだ与えられていない、手に入れることができていない恵みをはるかに望み見て喜びに生きるのです。それこそは、信仰の先輩たちが、私たちに示していてくれる大事な模範なのだと思います。私たちの信仰は、この世を生きている間に神さまの恵みを受けるためだけにあるのではなくて、この世においてはまだ与えられていない、手に入れることができていない約束をはるかに望み見て喜ぶためにあるのです。
もちろん私たちはこの世の人生においても、神さまからいろいろな恵みを受けています。けれども、最も大事な救いの完成は、この世を生きている間には、約束として与えられています。地上にあっては旅人のように過し、天の故郷にあこがれ、天を望み見る者たち。それこそが、本当の信仰者なのだと思います。滝野川教会の120年の歴史の中で、すでに天へと召されていった先達たちも、そのような信仰者の一人として、また信仰の導き手の一人として、私たちに先立って模範を示してくださったと言ってよいのです。
ヘブライ人への手紙は、第11章において、多くの信仰の先輩たちの名前を挙げたあと、そのすべてをまとめるようにして、第12章の冒頭で告げています。「こういうわけで、私たちもまた、このように多くの証人に雲のように囲まれているのですから、すべての重荷や絡みつく罪を捨てて、自分に定められている競走を忍耐強く走り抜こうではありませんか」。私たちを雲のように囲む証人の群れの中に、120年の教会の歴史が根ざす、2000年の教会の歴史があり、さらにはその2000年の教会の歴史が根ざす、旧約聖書の神の民の歴史があります。そこに名を記された多くの信仰の証人たち、そして、名も知られていないさらに多くの証人たちに、雲のように囲まれながら、その信仰の生涯を通して証しされた信仰の証言によって励まされ、導かれています。伝道のために生涯をささげた先達たちの志を受け継ぎ、救いの完成のときをはるかに望み見て喜び歌いながら、私たちもまた、私たちの参加すべき競走を、忍耐強く走りぬいて行きたいと思います。滝野川教会の120年の歩みを感謝しながら、ともに教会の新しい歴史を拓いて参りましょう。