2024年11月24日 主日礼拝説教「主よ、赦しはあなたのもとに」 東野尚志牧師
詩編 第130編1~8節
ヨハネによる福音書 第18章12~27節
教会の暦では、来週から、主のご降誕に備える「待降節」、アドヴェントの季節に入ります。このアドヴェントから、教会の一年が新しく始まります。教会は、この世の暦より約一か月早く、新たな年を迎えるのです。その意味では、アドヴェントに入る直前の主日は、一年で最後の日曜日ということになります。世の終わりに重ね合わせるようにして、「終末主日」と呼ばれることもあります。
教会の行事暦においては、一年の最後の日曜日は、収穫感謝日と呼ばれています。これは、アメリカの教会で祝われていた感謝祭を取り入れたものだといわれます。今から400年ほど前のことです。1620年、信教の自由を求めたピューリタンの信徒たちが、メイフラワー号に乗って、イギリスから北アメリカに渡りました。ピルグリムファーザーズと呼ばれます。一年目の厳しい冬を越えて、翌年の秋、最初の収穫を祝って神に感謝を献げたのが始まりとされています。アメリカでは毎年、11月の第4木曜日が、感謝祭、サンクスギビングの日として祝われるのです。けれども、今日では、サンクスギビングの翌日の金曜日から始まるブラックフライデーのセールの方が良く知られているかもしれません。
日本の教会の中には、収穫感謝日の礼拝に、果物や野菜などの収穫物を持ち寄って、感謝の礼拝をするところもあります。また日本基督教団では、この日を「謝恩日」と呼んで、隠退された教師たちの働きへの感謝を覚えて、謝恩日献金を呼びかけています。教会は、一年の最後の日曜日、収穫感謝日・謝恩日の礼拝をもって、この一年の神さまの恵みと祝福を感謝しながら、世の終わりの刈り入れの時を望み見つつ、新しい一年の始まりを迎えることになります。アドヴェントの時を迎えて、クリスマスの祝いに備えていくのです。
そのような季節の中で、今日は、ヨハネによる福音書第18章からみ言葉を読みました。ヨハネによる福音書の18章と19章は、いわゆる受難物語を記している箇所になります。主イエス・キリストが、捕らえられ、裁かれ、十字架にかけられ、死んで墓に葬られる。主イエス・キリストの地上のご生涯の最後を描いた物語です。主のご降誕を祝う季節を前にして、主の生涯の最後の物語を読むということも、意義深いことであると思います。神の独り子である主イエス・キリストが、何のために、この地上に来られたのか、何のために、私たちと同じ人間の一人として、この地上に宿られたのか、その意味と目的は、受難物語の中にくっきりと描かれているからです。主イエスは、十字架にかかって死ぬために、この世に来られました。ご自分の死によって、罪と死の力に打ち勝ち、救いと命の道へと私たちを導くために、主はこの世に生まれてくださったのです。
ヨハネによる福音書の受難物語の中で、先ほど朗読したところには、主イエスが大祭司のもとに連行されて、裁かれる場面が描かれていました。18章12節にはこう記されています。「そこで一隊の兵士とその大隊長、およびユダヤ人の下役たちは、イエスを捕らえて縛り、まず、アンナスのところへ連れて行った。彼が、その年の大祭司カイアファのしゅうとだったからである」。オリーブ山にある園で捕らえられた主イエスは、まず大祭司カイアファのしゅうとであったアンナスのところに連行されました。そこで非公式の裁きを受けた上で、大祭司カイアファのもとに送られます。そして、明け方には、ローマ総督のピラトの官邸に連れて行かれることになるのです。先ほど朗読したところには、その間の、アンナスの屋敷で行われた尋問の様子が描かれています。そして、主イエスに対する尋問と同時並行して、屋敷の中庭で行われていたもう一つの尋問の様子が描かれているのです。
共同訳の聖書になって、段落のまとまりごとに、見出しがつけられるようになりました。今日は、四つの段落を続けて読んだのですけれども、それぞれの段落に見出しがついていて、物語の展開が一目で分かります。まずはじめ、12節から14節までの段落には、「イエス、大祭司のもとに連行される」という見出しが立てられています。続く15節から18節の段落は「ペトロ、イエスを知らないと言う」とあり、19節から24節の段落は「大祭司、イエスを尋問する」とあります。最後、25節から27節には「ペトロ、重ねてイエスを知らないと言う」とあるのです。つまり、大祭司の屋敷の中で裁かれている主イエスの様子と、同じ屋敷の中庭にいたペトロの様子が、互い違いに組み合わされるように記されています。屋敷の中と外の中庭と、カメラワークを切り替えるようにして、同時進行している場面を描いているわけです。なかなか見事な手法ではないかと思います。
まず、大祭司の屋敷の中では、何が起こっていたのでしょうか。主イエスが最初に連れて行かれたのは、大祭司カイアファの屋敷ではなくて、そのしゅうとであるアンナスの屋敷であったとされています。本来、大祭司の務めは終身であったようですけれども、アンナスは、ローマ帝国の横やりで、大祭司の地位を追われ、その婿にあたるカイアファが大祭司になっていました。けれども、依然として、アンナスは陰の実力者として、力を奮っていたようです。ユダヤ教の教えに反する危険な存在であり、騒ぎを起こす首謀者と見なされた主イエスは、まず、ユダヤ教における事実上の最高権力者であったアンナスのもとで予備審問を受けることになったのです。その後で、大祭司の任にあったカイアファのもとに送られるのですけれども、ヨハネは、カイアファのもとでの尋問については、その中身に全く触れていません。内容的にはアンナスの裁きと大きく違わなかったのだと思われます。けれども、時の大祭司であったカイアファについて、こんな注をつけています。「一人の人が民の代わりに死ぬほうが好都合だと、ユダヤ人たちに助言したのは、このカイアファであった」(14節)。
このカイアファの言葉が実際に語られたのは、第11章のことです。主イエスが、死んだラザロを生き返らせた。そのことで、主イエスの評判はますます上がり、多くの人が主イエスを信じるようになりました。危機感を抱いた祭司長たちやファリサイ派の人たちが最高法院を招集しました。その席で、カイアファが言ったのです。「あなたがたは何も分かっていない。一人の人が民の代わりに死に、国民全体が滅びないで済むほうが、あなたがたに好都合だとは考えないのか」。このカイアファの言葉を記した後、福音書記者は、これに注をつけるようにして記しました。「これは、カイアファが自分から言ったのではない。その年の大祭司であったので預言をして、イエスが国民のために死ぬ、と言ったのである。国民のためばかりでなく、散らされている神の子たちを一つに集めるためにも死ぬ、と言ったのである。この日から、彼らはイエスを殺そうとたくらんだ」。11章49節から53節の言葉です。もうすでに、この時から、主イエスの死刑は決まっていたと言ってよいのです。後は、機会を狙っていただけです。そして、ついに、主イエスの弟子であったユダの裏切りを用いて、あのときの計略が実行に移されることになりました。福音書記者は、大祭司カイアファが、主イエスは散らされている神の子たちを一つに集めるために、民全体の代わりに死ぬことになると預言していたことを思い起こさせるのです。
さて、アンナスは、主イエスに対して、弟子たちのことや主イエスの教えの内容について尋問したと言います。それに対して、主イエスは答えて言われました。「私は、世に向かって公然と話してきた。私はいつも、ユダヤ人が皆集まる会堂や神殿の境内で教えた。隠れて語ったことは何もない。なぜ、私に尋ねるのか。私が何を話したかは、それを聞いた人々に尋ねるがよい。その人々が私の話したことを知っている」(20~21節)。最高実力者であったアンナスの前に立っても、主イエスは全く臆することなく、堂々と答えておられます。主イエスは、決して、弟子たちだけに、秘密の教えを説いて来られたわけではありませんでした。会堂や神殿の中で公然と語って来たのだから、あなたたちも聞いたはずではないか、今さらそれを問うのは意味のないことだと言われるのです。
アンナスの尋問は、肝心なことに触れていません。主イエスが、来るべきメシア、救い主であるのか、あるいは、後でローマ総督のピラトが尋ねたように「お前は王なのか」という踏み込んだことを尋ねようとはしません。言ってみれば、周辺的で形式的な質問です。だからこそ、主イエスは、直接答えようとはなさらなかったのでしょう。既に公然と語ったことを繰り返そうとはなさいませんでした。ここで、アンナスが踏み込んだ質問をしなかったのは、もうすでに、判決は出ていたからかもしれません。ラザロが生き返らされた後、緊急招集された最高法院において、すでに死刑判決は出ていました。あのとき、カイアファが告げた言葉のとおりに、ことは進んでいるのです。主イエスの答え方が、大祭司に対して失礼だと言って、下役の一人が主イエスを平手で打ったときにも、主は毅然として、その不当なことを咎めておられます。立場としては、大祭司が主イエスを裁いており、主イエスは裁かれる側でありました。けれども、主イエスの前では、裁いているはずの者たちの真実が暴かれていくことになるのです。
そして、同じ時、同じアンナスの屋敷の中庭においては、もう一つの尋問が進行していました。シモン・ペトロは、もう一人の弟子と一緒に、大祭司の屋敷に連行される主イエスの後について行きました。もう一人の弟子が誰であったのかは分かりません。ただ、この人は大祭司の知り合いであったので、主イエスの後を追って、屋敷の中庭に入ることができました。けれども、ペトロは中に入れず、門の外に立っていました。顔が利くもう一人の弟子が門番の女に話をして、ようやくペトロも中に入れてもらえることになりました。ところが、そのとき、門番の女がペトロに言ったのです。「あなたも、あの人の弟子の一人ではないでしょうね」。とっさのことで、慌てたペトロはつい「違う」と答えてしまいました。中庭では、春先のこととはいえ寒かったので、僕や下役たちが炭火をおこして、立って火にあたっていました。ペトロも何食わぬ顔で、その中に紛れて、一緒に火にあたっていたというのです。
ところが、周りにいた人たちがペトロに気づいて言いました。「お前もあの男の弟子の一人ではないだろうな」。ペトロはそれを打ち消して、またもや「違う」と言いました。二回目です。最初はとっさに「違う」と口にしたのでしょうけれども、二回目は、はっきり打ち消して、恐らく、最初よりも大きな声で「違う」と言って打ち消したのだと思います。ところがそこに、主イエスが捕らえられるとき、ペトロに片方の耳を切り落とされた人の身内の者がいました。その人がペトロを問い詰めるように言いました。「お前が園であの男と一緒にいるのを、私に見られたではないか」。目撃者の証言です。でも、ペトロはもう、後戻りできません。ペトロはその言葉を激しく打ち消しました。三度目の否定です。「するとすぐ、鶏が鳴いた」というのです。
ヨハネはここに、何も記していませんけれど、ペトロは、鶏の声を聞いてハッと我に返ったに違いありません。主イエスの言葉を思い起こしたに違いない。ペトロは、弟子たちが主イエスに足を洗っていただいた後、主イエスが、ご自分は去って行かれ、弟子たちは付いて来ることができないと言われたとき、反論して言いました。「主よ、なぜ今すぐ付いて行けないのですか。あなたのためなら命を捨てます」。主は答えて言われました。「私のために命を捨てると言うのか。よくよく言っておく。鶏が鳴くまでに、あなたは三度、私を知らないと言うだろう」(13章37~38節)。主が前もって言われたとおりのことが起こったのです。
ペトロは、「お前もイエスの弟子ではないのか」と問われたとき、2度も繰り返して「違う」と言いました。実は、ここで「違う」と訳されている言葉は、文字通りに訳すと「私ではない」となります。英語で言えば、「アイ・アム」、「私である」という言葉の前に、否定の言葉が置かれているのです。「違う」「私ではない」。前回読んだところで、主イエスが口にされた言葉を思い起こしてください。主イエスを捕らえに来た人たちに向かって、主が「誰を捜しているのか」とお尋ねになり、問われた者たちが「ナザレのイエスだ」と答えると、主は言われました「私である」。主イエスが「私である」と言われたとき、捕らえようとしていた人たちは、後ずさりして地に倒れたとありました。「私である」「アイ・アム」。もとのギリシア語では「エゴー・エイミ」。これは、主イエスがまことの神であることを示す言葉でした。かつて、モーセに対して、神はご自身を「私はある」「私はいる」という言葉で示されました。主イエスは、ご自身が神と等しいお方であること、神であることをこの「エゴー・エイミ」という言葉で宣言されたのです。だからこそ、それを聞いた者たちは、み言葉の権威に打たれて、後ずさりし、ひれ伏したのです。
それに対して、ペトロが語ったのは、「違う」「私ではない」という否定の言葉でした。自分が主イエスの弟子であることを否定したのです。主イエスは、「私である」と言って、神としてのご自身の存在を現されたにもかかわらず、ペトロは、「私ではない」と言って、主イエスの弟子であることを否定しました。それは、ただ主イエスとの関係を否定しただけではなくて、主イエスの弟子としての自らの存在を否定したのであり、自分自身を否定したのです。主イエスの召しに応えて、主イエスに従い、主イエスを信じて歩んできた自分自身の存在を否定した。他の福音書においては、鶏の声を聞いたペトロが、外に出て激しく泣いた、と記されています。けれども、ヨハネの福音書は、「するとすぐ、鶏が鳴いた」という言葉で終わっています。「私ではない」と言って、自分をない者にしてしまったペトロは、無になってしまったからです。激しく泣いて、悔い改めて、立ち帰ることもできない。ペトロは神の前に、自らを存在しないものにしてしまったのです。主イエスは、このペトロのためにも、十字架にかかってくださいました。ペトロの存在を取り戻すために、ご自身の命を犠牲にしてくださったのです。
ペトロが、立ち直るのは、主がもう一度、ペトロを召してくださることによります。復活された主イエスは、ガリラヤのティベリアス湖のほとりで、弟子たちにご自身を現され、一緒に食事をされました。その食事が終わると、主イエスはペトロにお尋ねになります(21章15節以下)。「ヨハネの子シモン、あなたはこの人たち以上に私を愛しているか」。ペトロは、自信を持って愛しているなどと答えることはできません。「はい、主よ、私があなたを愛していることは、あなたがご存じです」と言います。そのペトロに主イエスは、「私の小羊を飼いなさい」と言われました。このやり取りが3回繰り返されるのです。主イエスは、3度、ペトロに愛を問われました。ペトロを、主の愛に呼び出されたのだと言って良いと思います。ペトロに3度、愛を問うことによって、あの3度の否定を上書きして、再び弟子として呼び出してくださるのです。そして、ペトロに命じられます。「私の小羊を飼いなさい」。自分自身の存在を否定して、無になっていたペトロを、主の愛で満たしてくださり、弟子としての新たな使命を与えてくださったのです。
主イエスは、ペトロの弱さと罪を担ってくださいました。そして、ペトロを新たな使命に召し出してくださいました。主イエスを否定するだけでなく、自分自身の存在をも否定してしまう弱い私たちのために、主は、十字架にかかってくださいました。罪と死の力を打ち破って、よみがえってくださいました。そして、復活の主が、私たちを召してくださっているのです。
振り返ってみれば、この一年も、主の憐れみと赦しの愛に支えられ、多くの恵みを受けてきました。この世の厳しい現実にさらされ、自分の無力さを思い知らされるとき、つい否定の力に負けそうになります。キリストの弟子とされている恵みを無にしてしまいそうになります。そのとき、主は私たちに歩み寄り、「私である」と告げてくださいます。主が私たちと共にいてくださり、私たちをその大きな愛と赦しで包み込み、行くべき道となすべき務めを示してくださるのです。悔い改めと感謝をもって、主に立ち帰り、主を仰ぎ見て、望みをもって新たな年を迎えたいと思います。