2024年10月20日 主日礼拝説教「誰を捜しているのか」 東野尚志牧師
出エジプト記 第3章13~14節
ヨハネによる福音書 第18章1~11節
ヨハネによる福音書第18章の初めのところを読みました。主イエスによる長い別れの説教と弟子たちのための祈りが終わって、物語が再び動き始めることになります。最後の晩餐と呼ばれる、特別な食事が始まったのは、第13章でした。私たちが、第13章の初めのところを読んだのは、今から7ヶ月前、3月10日の主日礼拝でした。主イエスは、夕食の途中、立ち上がって、弟子たちの足を洗って行かれました。その不思議な象徴的な行為を通して、弟子たちに対する深い愛を現わされました。主イエスは、ご自分の身を低くして、主に従い行く者たちの罪を洗い清めてくださる方であることを示されたのです。そして、主であり、師であるイエスさまが弟子たちの足を洗われたのだから、弟子たちも互いに足を洗い合うようにと教えられました。主イエスが私たちを愛してくださっているように、私たちも、互いに愛し合い、仕え合うべきであることを教えられたのです。
そこから始まって、さらに、14章、15章、16章と、主イエスの別れの説教が続きました。そして、後に残していく弟子たちのため、また弟子たちの伝道を通して、主イエスを信じるようになる後の時代の信仰者たちのため、すなわち、私たちのために、主イエスは、言葉を尽くして祈ってくださいました。父なる神と主イエスが一つであるように、私たちも、その父なる神と主イエスの交わりの中に入れていただき、その愛の中に包み込まれることで、教会が一つになるようにと主は祈ってくださったのです。第17章の全体が主イエスの祈りの言葉として綴られていました。私たちは半年以上、7ヶ月の時をかけて、ひと晩の出来事を読み続けてきたのです。この夜の出来事はまだ終わりません。いやむしろ、ここからが新たな始まりです。第18章から19章にかけて、主イエスの十字架の死に至る歩みと、埋葬までが描かれます。続く20章と21章は、主イエスの復活の記事です。受難と復活の物語が、まさにここから始まるのです。
さて、18章はこのように始まります。「こう話し終えると、イエスは弟子たちと一緒に、キドロンの谷の向こうへ出て行かれた。そこには園があり、イエスは弟子たちとその中に入られた」。別れの説教と祈りを終えられた主イエスは、最後の晩餐が行われたエルサレムの町の中の家を出て、暗い夜道を、弟子たちと一緒に「キドロンの谷の向こうへ出て行かれた」というのです。エルサレムは800メートル弱の小高い丘の上の町です。そこから、東側の急な坂道を下っていくとキドロンの谷がありました。そこは鬱蒼とした杉林で、昼間でも薄暗い谷であったと言われます。主イエスと弟子たちは、その暗い谷を抜けて向かいの山にある「園」に行かれたというのです。ヨハネによる福音書には、「園」としか記されていません。けれども、他の福音書を見ると、オリーブ山にあるゲツセマネという所であったと記されています。その名の通りオリーブの木が生い茂る山です。「ゲツセマネ」という言葉は、「油しぼり」という意味だそうです。豊かにオリーブの実が採れる場所に、油の搾り場があったのかもしれません。マタイとマルコが記している「ゲツセマネ」という言葉と、ヨハネが記している「園」という言葉が組み合わされるようにして、そこは「ゲツセマネの園」と呼ばれるようになります。
主イエスは弟子たちと一緒に、園の中に入って行かれました。そこは、主イエスと弟子たちがよく訪れた礼拝の場所であったようです。だから、12弟子のひとりであったユダもよく知っている場所でした。ヨハネは記しています。18章の2節です。「イエスを裏切ろうとしていたユダも、その場所を知っていた。イエスは、弟子たちと共に度々ここに集まっておられたからである」。ここで「集まる」と訳されているのは、「シュナゴー」という言葉です。この「シュナゴー」という言葉から、ユダヤ教の礼拝所を意味する「シナゴーグ」という言葉が生まれました。主イエスは、弟子たちと度々この場所に来ては、神の言葉を語り、また神に祈りを献げ、共に賛美を献げておられたのです。主の弟子たちにとっての聖なる礼拝の場所が、裏切りの場所になろうとしています。けれども、まさにこの場所において、主イエスこそは真実に、礼拝されるべきお方であるということが現されることになるのです。
最後の晩餐の席上、食事の途中で、ユダはひとり、外へ出て行きました。主イエスが、ユダに、「しようとしていることを今すぐするがよい」と言って促されたのです。周りの弟子たちには何のことが分かりませんでした。けれども、主イエスは、ユダがご自分を裏切ろうとしていることを知っておられました。ヨハネは記しています。「ユダはパン切れを受け取ると、すぐ出て行った。夜であった」(13章30節)。晩餐が進んでいる時間ですから、夜であることは分かりきっています。けれども、ヨハネはあえて「夜であった」と記しました。ユダは、世を照らすまことの光として来られた主イエスのもとを離れて、夜の闇の中に出て行きました。闇の支配の中に落ちたのです。しかも、主イエスはすべてをご存じの上で、ユダを止めたり、諭したりするのではなくて、むしろ、あなたのしようとしていることを今すぐしなさい、と言われたのです。
ひとり、主イエスと弟子たちの交わりから離れて、外へ出て行ったユダは、大勢のお供を連れて戻ってきました。主イエスや他の弟子たちと、度々一緒に集まった場所です。この夜も、食事を終えたらそこへ行かれるに違いないと踏んで、大勢の人たちを引き連れてやって来ました。主イエスを引き渡すためです。ユダが手引きして連れてきたのは、祭司長、民の長老やファリサイ派の人たちから遣わされた群衆でした。そこまでは、四つの福音書に共通しています。ところが、ヨハネだけは、そこに、「一隊の兵士」を加えています。3節です。「それでユダは、一隊の兵士と、祭司長たちやファリサイ派の人々の遣わした下役たちを引き連れて、そこにやって来た」。一隊の兵士というのは、ローマ帝国の兵士たちです。他の福音書では、群衆が剣や棒を持って来たと記していますけれども、「一隊の兵士」がいたとすれば、当然、本格的な武器を手にしています。「一隊」と訳される言葉は、600人ほどの兵士の一団を意味する言葉です。それを率いる上役は千人隊長と呼ばれました。実に物々しい一団がやって来たのです。
3節の終わりには、この一団が「松明や灯や武器を手にしていた」と続きます。他の福音書でも、剣や棒といった武器を手にしていたことは記されています。けれども、ヨハネだけは「松明と灯」について語っています。夜に出かけるのだから、あかりを手にするのは当たり前だと思われるかも知れません。けれども、ヨハネがわざわざ「松明と灯」について語るのは、この企みが夜の闇の中で、闇の支配のもとで起こっていることを意識させようとしているのだと思います。先ほど、ユダが外へ出て行ったところを読みましたけれど、そこでも、ヨハネはわざわざ注をつけるように「夜であった」と記しました。ユダの裏切りによって、主イエスが逮捕され、裁かれ、十字架に引き渡されていく、この一連の出来事は、夜の闇の支配のもとで起こったのです。
主イエスこそは、闇の世に来られたまことの光です。ヨハネの福音書は、その冒頭のプロローグにおいて語りました。「光は闇の中で輝いている。闇は光に勝たなかった」。1章5節の言葉です。さらに9節で証ししています。「まことの光があった。その光は世に来て、すべての人を照らすのである」。また8章においては、ヨハネによる福音書の特徴的な表現で、主イエスの自己証言の一つとして語られました。「私は世の光である。私に従う者は闇の中を歩まず、命の光を持つ」(8章12節)。さらに、12章46節で主は言われました。「私を信じる者が、誰も闇の中にとどまることのないように、私は光として世に来た」。ヨハネによる福音書は、光と闇の対決を記します。この世を支配している闇と、まことの光として来られた主イエスの対決を描いているのです。ユダの裏切りによって、主イエスが逮捕され、ついには十字架で死を迎えられることは、この光と闇の対決において、光が闇に呑み込まれてしまったように思われるかもしれません。兵士や群衆が手にしている「松明や灯」は、かえって、その闇の深さを際立たせていると言ってよいのです。
けれども、主イエスのご受難は、光が闇に呑み込まれ、闇の支配が勝利したというような単純なものではないことを、ヨハネは描いて行きます。18章の4節にはこう記されます。「イエスはご自分の身に起こることを何もかも知っておられ、進み出て、『誰を捜しているのか』と言われた」。主イエスは、ご自分が弟子の一人であるユダに裏切られることを知っておられました。裏切られて、十字架に引き渡され殺されることになるということを何もかも知っておられたのです。しかも、ご自分を捕らえようとする者たちが迫ってきたときに、主イエスは身を翻して退かれたのではなくて、むしろ、前に進み出ておられます。最後のところでは、ユダの方から近づいたのではなくて、主イエスの側から近づいた、というのです。ここも、他の福音書とヨハネの描き方が大きく違っているところです。他の福音書においては、ユダは、暗闇の中で間違えることなく主イエスを捕らえさせるために、自分から主イエスに近づいて、接吻したと記しています。それが合図でした。自分が接吻する人がイエスだから、その人を捕らえるようにと、あらかじめ打ち合わせをしていたのです。本来ならば、親しさや尊敬を示す挨拶の行為をもって、ユダは主イエスを裏切り、主イエスを引き渡した、というふうに描かれています。
ところが、ヨハネの福音書において、ユダは主イエスに触れていません。むしろ、主イエスの方から一歩進み出て、やって来た人々に問われたと言います。「誰を捜しているのか」。続く5節は記します。「彼らが『ナザレのイエスだ』と答えると、イエスは『私である』と言われた。イエスを裏切ろうとしていたユダも彼らと一緒にいた」。兵士や群衆が「ナザレのイエス」を捜しているのだと告げると、主イエスの方から「私である」と言って進み出られたのです。確かに、ユダはそこに一緒にいたのですけれど、一緒にいただけで何もしていません。まるでもう出番のない脇役のようです。主イエスご自身の方から、名乗り出ておられるのです。捕らえに来た人たちの前で、受け身になっているのではなくて、むしろ、主イエスの方が、この場面を支配しておられるのです。それは、続く6節で、さらにはっきりと示されることになります。
6節。「イエスが『私である』と言われたとき、彼らは後ずさりして、地に倒れた」。ある説教者が、この場面について語っています。「主イエスの手が押し倒したのではない。み言葉が押し倒したのです」。心に刺さるような言葉だと思いました。しかも、そこにはローマの軍隊がおり、ユダヤ人の代表者たちもいたわけですから、ヨハネの福音書がこれまで用いてきた言葉で言えば、まさに、「世」がそこにいるわけです。主イエスが、世に立ち向かわれたとき、その世が打ち倒された、というのです。主イエスが誰であるのか、主イエスが何者であるのかということを、言葉で説明しているのではありません。ここでは、み言葉そのものが、神の言葉として響いている、主イエスの存在、そのものが語り出しているというのです。主イエスを捕らえに来た人たちの方が、その主イエスの権威に圧倒されて、後ずさりして、地に倒れたのです。
ここで「倒れた」と訳されている言葉は、マタイによる福音書の第2章、主イエスの誕生の物語の中で、東の国からやって来た博士たちが、幼子イエスの前に「ひれ伏した」と訳されているのと同じ言葉です。つまり、主イエスを捕らえに来た人たちは、主イエスの圧倒的な権威の前に、後ずさりして、ひれ伏したのです。主イエスが「私である」と言われた、その言葉に、その存在に、圧倒されたのです。ここで、主イエスが、「私である」と告げられた言葉は、ただ表面的に読めば、「誰を捜しているのか」という問いに対して「ナザレのイエスだ」と応えられたので、お前たちが捜しているナザレのイエスは、この私だと告げられた、というふうに読めます。しかし、それだけではない。主イエスが口にされた「私である」という言葉には、特別な意味があったのです。いや、意味があったというような生やさしいことではなくて、この言葉によって、神の存在と力が現わされた、と言ってよいのです。
5節に記された「私である」と言われたイエスの言葉が、6節では福音書記者の言葉として繰り返され、さらに8節で、主ご自身が繰り返された言葉として記されています。合計3回、かぎ括弧でくくられた「私である」という言葉が記されているのです。この主イエスの言葉が、圧倒的な力をもって、主イエスを捕らえに来た人たちに迫り、押し倒した。いや、この言葉の前に、人々はひれ伏すしかなかったのです。この「私である」と訳されているもとの言葉は、「エゴー・エイミ」というギリシア語です。英語に訳せば「アイ・アム」となります。英語で「アイ・アム」というと、通常は、その後に言葉が補われて、例えば、「私は命のパンである」、「私は世の光である」という言い方がなされます。けれども、そのようないわゆる補語と呼ばれる言葉を用いずに、「アイ・アム」というだけで、私はここにいる、という意味を表わすのです。ギリシア語も同じで、「エゴー・エイミ」というだけで、私はここにある、私はここにいる、という意味になります。第18章の流れで言えば、人々がナザレのイエスはどこにいるかと捜しに来た、その人たちに対して、主イエスは「それは私だ」と名乗り出てくださったわけです。それは、言ってみれば、「私はここにいる」という主イエスの自己宣言であり、ご自分の存在をはっきりと相手に突きつけられたと言ってよいのです。主イエス・キリスト、初めに神と共にあった言なる神が、人として地上に宿られ、まことの神であり、まことに人であるお方として、ここにおられる、その神の現臨を告げる言葉に圧倒されて、人々は後ずさりして、地に倒れた。神であるお方の前にひれ伏したのです。
実は、このような「エゴー・エイミ」という言葉は、既に第8章においても出て来ました。そのところでも、触れたのですけれども、この表現は、出エジプト記に記された神の言葉を背景としています。それが、先ほど新約聖書と合わせて朗読した旧約聖書、出エジプト記の第3章13節、14節です。イスラエルの民はエジプトで奴隷として苦しめられていました。主なる神は、ご自身の民であるイスラエルを解放するために、モーセを選んで、民のところに遣わそうとされます。そのとき、モーセが神に問いました。もしも、イスラエルの人たちが、あなたを遣わしたという神は誰か、その名は何というのかと尋ねたら、何と答えればよいでしょうか。それに対して、神は答えて言われたのです。「『私はいる、という者である。』そして言われた。『このようにイスラエルの人々に言いなさい。「私はいる」という方が、私をあなたがたに遣わされたのだと。』」。以前の口語訳聖書でも、新共同訳聖書でも、「私はある」と訳されていたのですけれども、聖書協会共同訳になって、ただ「ある」という存在だけでなく、共に「いる」という恵みを強調しようとしたのだと思います。「私はいる」と訳されるようになりました。この聖書の箇所のギリシア語訳においては、「エゴー・エイミ」と訳されています。モーセに告げられた「私はいる」「私はある」という神の名を、主イエスが口にされました。父なる神と等しいお方であり、父なる神から遣わされて世に来られた救い主、まことに神であり、まことに人であるお方として、この特別な神の名を口にされたのです。
「誰を捜しているのか」「ナザレのイエスだ」。このやり取りをもう一度繰り返した上で、主イエスは言われます。「『私である』と言ったではないか。私を捜しているのなら、この人々は去らせなさい」(18章8節)。主イエスは、自ら名乗り出て、弟子たちを守ってくださいました。私がここにいるのだから、他の人たちには手を出すな、と言われたのです。主イエスが捕らえられることによって、弟子たちは自由の身となる。これも象徴的なことです。このあと、ペトロは手にしていた剣を抜いて大祭司の僕に切りかかって、その右の耳を切り落としてしまいます。他の福音書では、主イエスと一緒にいた者の一人、というような書き方をしているのですが、ヨハネの福音書では、それはペトロであった、ということをはっきりと告げるのです。しかも、他の福音書が記していない耳を切り落とされた人の名前まで記しています。「僕の名はマルコスであった」。普通なら、ただでは済みません。けれども、主イエスは、ご自分から名乗り出ることによって、弟子たちを守られたのです。
ヨハネによる福音書と他の3つの福音書の違いは、園でなされたことにも現れています。他の3つの福音書は、主イエスが、ゲツセマネと呼ばれるところで、祈りの戦いをなさったことを伝えています。主イエスは、ペトロとヤコブとヨハネを伴って進んで行かれ、悩み苦しみながら、3人の弟子たちに目を覚ましているようにお求めになり、少し進んで地にひれ伏して祈って言われます。「父よ、できることなら、この杯を私から過ぎ去らせてください。しかし、私の望むようにではなく、御心のままに」(マタイ26章39節)。そして、二度目に祈って言われます。「父よ、私が飲まないかぎりこの杯が過ぎ去らないのでしたら、御心が行われますように」(同42節)。ところが、ヨハネの福音書においては、主イエスは、すでに心を定めておられます。そして、剣に頼ろうとしたペトロに向かって言われるのです。「剣を鞘に納めなさい。父がお与えになった杯は、飲むべきではないか」(18章11節)。主イエスは、ご自分が何のために世に来られたのかを知っておられます。強いられてではなく、自ら進んで、十字架という杯を飲もうとしておられるのです。父なる神の御心を行うためです。私たちを罪から救うためです。ここでも、私たちは、3章16節のみ言葉を思い起こします。「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。御子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである」。
今、この世界にも、闇の力が働いています。私たちの内にも闇があります。私たちは、自分の力でこの闇を退けることはできません。ともすれば、この闇の力に呑み込まれそうになります。しかし、主イエスは、闇の中に輝き出る光のように「私である」と告げてくださいます。「私がいる」「私があなたと共にいる」と告げてくださいます。十字架と復活の御業によって、闇の力に打ち勝ってくださった主が、今、私たちと共にいてくださり、私たちを命の光で照らしてくださるのです。主の現臨によって守られ、支えられながら、主の光の中を歩んでいきたいと願います。