2024年1月14日 主日礼拝説教「主の葬りの日の備え」 東野尚志牧師

申命記 第15章7~11節
ヨハネによる福音書 第12章1~11節

 今日は久しぶりに、ヨハネによる福音書に戻って参りました。11月の終わりから、創立記念礼拝、アドヴェント、クリスマスの礼拝、歳末礼拝、新年礼拝と特別な礼拝が続いたので、ヨハネによる福音書から長く離れていました。今日から、通常の礼拝に戻ることになります。ヨハネによる福音書の第12章に入ります。前回、第11章の終わりのところを読んだのは、11月12日の礼拝でしたから、丸二か月ぶりに、ヨハネによる福音書を読むことになります。
 今日、私たちに与えられた聖書の箇所は、「ナルドの香油」の物語として、知られているところです。聖書協会共同訳の聖書では、第12章の1節から8節の段落に、「ベタニアで香油を注がれる」という小見出しが、掲げられています。そして、小見出しの脇に、小さな文字で括弧に入れて、(マタ二六6-13、マコ一四3-9)とあります。これは、マタイによる福音書とマルコによる福音書にも、並行記事があることを示しているのです。さらに申しますと、かなり違った状況設定になっていて並行記事とは呼べないかもしれませんが、ルカによる福音書にもこれと似た話があります。ひとりの女性が主イエスに高価な香油を注いだという出来事は、四つの福音書すべてに記されているのです。それだけ、印象深い出来事であったのだと思われます。忘れがたい出来事として、その場に居合わせた人たちによって記憶され、広く伝えられたのです。今日は、その物語を、ヨハネによる福音書の文脈においてご一緒に味わって行きたいと思います。

 「ナルドの香油」の物語は、ヨハネの福音書ではこんなふうに始まります。「過越祭の六日前に、イエスはベタニアに行かれた。そこには、イエスが死者の中からよみがえらせたラザロがいた。イエスのためにそこで夕食が用意され、マルタは給仕をしていた。ラザロは、イエスと共に席に着いた人々の中にいた」(12章1~2節)。直前の11章には、ラザロのよみがえりの出来事が記されていました。重い病にかかって死んでしまったラザロを、主イエスは墓の中から呼び出されました。死人のよみがえりという驚くべき奇跡を前にして、ユダヤ人の指導者たちは酷く動揺しました。こんなしるしを目の当たりにすれば、多くのユダヤ人が主イエスを信じるようになってしまう。それが大きな勢力になれば、ローマ帝国が介入して来ると思われたからです。ユダヤの祭司長やファリサイ派の人たちは、最高法院を召集して、騒動の火種になりそうな主イエスを取り除く、つまり亡き者にするという決議をしました。それで、主イエスは、ベタニアの地を去って、しばらく荒れ野に近い地方のエフライムという町に引き込んでおられたのです。
 しかし、ユダヤ人の大切な祭りである過越祭が近づいてきました。主イエスは、最後の過越祭をエルサレムで迎える決意をもって、その六日前に、再びベタニアに来られたのです。ベタニアは、エルサレムの東約3キロにある村でした。すでに祭司長やファリサイ派の人たちは、主イエスを捕らえようとして、居場所が分かれば届け出るように通達を出していました。主イエスは、危険を承知の上で、エルサレムの手前まで戻って来られたのです。エルサレムで最後の一週間を過ごすためです。エルサレム入城の前日、ベタニアで、恐らくは、親しいマルタとマリア、そしてラザロの家を訪ねて、弟子たちと一緒に夕食の席に着いておられたのです。

 このときも、マルタは給仕をしていました。ルカによる福音書の第10章において、もてなしのために忙しく立ち働いていたマルタの姿にも重なり合います。そこへ、マリアがやって来ました。手には「純粋で非常に高価なナルドの香油」を持っていたといいます。マタイとマルコの並行記事では、「一人の女」とだけ記されていて、香油をもって主イエスに近づいたのが誰であったかは分かりません。またルカの記事では「一人の罪深い女」とされていて、やはり名前は記されていません。けれども、ヨハネ福音書は、マルタの姉妹であるマリアこそが、主イエスに香油を注いだ人なのだと告げるのです。ヨハネは、「一リトラ」と、香油の分量まで記しています。口語訳聖書では、「一斤」と訳されていました。聖書の巻末の度量衡換算表によれば、「一リトラ」は326グラムとあります。通常ならば、ほんの数滴たらすだけでも十分であったはずです。けれどもマリアは、用意した香油のすべてを主イエスの足に注ぎかけて、香油まみれになった主イエスの足を自分の長い髪の毛で拭ったのです。そのため「家は香油の香りでいっぱいになった」といいます。
 この後のユダの言葉によれば、この香油は「三百デナリオン」で売れるほどの価値のあるものであったようです。一デナリオンは、当時の労働者の一日分の賃金にあたると言われますから、三百デナリオンであれば、三百日分の賃金に相当します。つまり、ほぼ一年間の年収にあたるほどの高価なものであったということです。マリアがそれほど裕福であったとは思われません。恐らくそれは、マリアにとって全財産と呼んでも良いほどのものだったのではないでしょうか。つまり、マリアは自分の持てる物すべてを主イエスにお献げしたのです。それは、愛する兄弟ラザロをよみがえらせてくださった主イエスに対する心からの感謝の献げ物です。悲しみのどん底に突き落とされていた自分たち姉妹を喜びへと引き上げてくださり、命の交わりを与えてくださった主イエスに対して、言葉では表せない感謝と信頼と愛をお献げしたのです。さらに言えば、それは自分自身を主イエスにお献げする、まさしく、献身のしるしであったと言ってよいと思います。ヨハネは記しました。「家は香油の香りでいっぱいになった」。それはマリアの献身の思い、その信仰の香りが満ちあふれたということだと思います。

 私たちも、礼拝に集う度に、献身のしるしとして献金を献げます。その際、「しるし」だからと軽く考えてしまうことがないでしょうか。けれども、献身のしるしとしての献げ物には、まさに、献身が伴わなかったら、しるしにもなりません。自分自身を主イエスのものとして、主イエスにお献げするという真実が伴わなかったら、献身のしるしは中身のない、むなしいものになってしまいます。マリアは、自分自身を主にお献げするしるしとして、自分の持っているすべてを献げたのです。それは、生活費全部であるレプトン銅貨二枚を神に献げたやもめの献金にも通じると思います。
 主イエスは、大勢の金持ちたちが誇らしげに多額の献金を献金箱に入れている中で、貧しいやもめがレプトン銅貨二枚をそっと献金箱に入れるのを見て言われたのです。「よく言っておく。この貧しいやもめは、献金箱に入れている人の中で、誰よりもたくさん入れた。皆は有り余る中から入れたが、この人は、乏しい中から持っている物をすべて、生活費を全部入れたからである」(マルコによる福音書第12章43~44節)。レプトン銅貨二枚というと100円ちょっとくらいでしょうか。でも銅貨だといいますから、10円玉二枚という感じがぴったりくるかも知れません。二枚あったのですから一枚は自分のためにとっておくこともできたはずです。けれども、二枚とも、生活費すべてを献金したのです。
 理性的に考えれば、生活費をすべて献げてしまったら、明日からどうやって生きていけばよいのか、と心配になります。しかし、決して、生きるのを諦めて、やけになって、投げ出したのではありません。「生活費」と訳された「ビオス」という言葉は人生や生涯をも表します。つまり、自分の人生すべてを、主に委ねたということです。時々、献げ物はわずかでも良い。レプトン銅貨二枚の献金を、主イエスは尊ばれた、という言い方をする人がいます。大間違いです。全財産を献げたのです。レプトン銅貨二枚であれ、三百デナリオンの価値のある高価な香油であれ、同じことだと思います。自分の持てるすべてを主に献げることによって、自分自身の命と人生を主に献げ、主に委ねたのです。

 ところが、マリアの献げ物を見て、それを咎めた人がいました。合理的な計算をして、マリアがしたことはとんでもない無駄遣いだとして批判したのです。ヨハネは記しています。「弟子の一人で、イエスを裏切ろうとしていたイスカリオテのユダが言った。『なぜ、この香油を三百デナリオンで売って、貧しい人々に施さなかったのか。』」(12章4~5節)。ここでユダが述べていることは、ある意味、筋の通ったもっともな言い分のように聞こえます。売れば、三百デナリオンにもなる高価な香油です。それを、マリアはすべて惜しげもなく、主イエスの足に塗ってしまったのです。一瞬にして、三百デナリオンの価値のある香油が失われてしまいました。その三百デナリオンがあれば、多くの貧しい人や困っている人を助けることもできたはずなのです。もっと有効に、貧しい人に施すという愛の業のために用いるべきではなかったかと言って、マリアを咎めたのです。
 面白いことに、高価な香油を主イエスに注いだ女性を咎めた人物について、マルコによる福音書では、「ある人々が憤慨して互いに言った」と描かれていました。マタイによる福音書の並行記事においては、「弟子たちはこれを見て、憤慨して言った」と記されています。「ある人々」が「弟子たち」になり、ヨハネは、はっきりと、この女性をとがめたのは「イスカリオテのユダ」であった、と書いているのです。書かれた時代が下るほどに、段々と話がはっきりしてきているとも言えます。ある人が、ここではっきりしてきたのは、ただ単に、それを言ったのが誰かということではない、と述べています。そうではなくて、むしろ、その女をとがめた言葉が、本当はどういう意味を持っているのかがはっきりしてきたのだ、と言うのです。鋭い指摘であると思います。実際、誰もが口にしそうな批判の言葉です。私たちだって、その場にいたら、なんともったいない、そんな思いを抱いたかもしれません。部屋に広がったあまりにもきつい香油の香りに顔をしかめたかもしれません。けれども、そこで言われていること、一見、正論のように聞こえる主張は、結局は、主イエスを裏切り、主イエスを十字架へと追いやる者の論理だということではないでしょうか。

 ヨハネはさらに、ユダがマリアの行為を咎めたのには、裏があった、ということを記しています。「彼がこう言ったのは、貧しい人々のことを心にかけていたからではない。自分が盗人であり、金入れを預かっていて、その中身をごまかしていたからである」(6節)。ユダは、弟子たち一行の金入れを預かっていた、つまり会計係でした。しかし、その中身をごまかして、不正をしていたというのです。これは、ヨハネだけが伝えている情報です。もしかすると、ヨハネの福音書が書かれる頃には、主イエスを裏切ったユダに対する厳しい見方が強くなっていたのかもしれません。主イエスを裏切ったユダをだんだん卑しい人物として描いていく傾向があったと思われます。ユダに対して「盗人」というレッテルを貼ることで、裏切り者に対する蔑みを表しているとも言えるのです。
 しかし、もちろん、ユダを悪者にして、ユダを批判していれば済む話ではありません。私たちもまた、純粋で高価な香油を献げ尽くしたマリアのような、信仰の純粋さを見せつけられるとき、どこか後ろめたさを感じてしまうことがあるのではないでしょうか。私たちは、この世の現実の中に生きていて、実際には、なかなかマリアのような純粋さに生きることができないからです。神に献げ物をするときも、あるいは、貧しい人や困っている人を助けようとするときも、そこにいつでも、献げる自分、与える自分を意識する心が忍び込みます。献げる自分を誇ろうとする思いがつきまとうのです。それは、本来、神に帰すべき栄光を、盗み取ろうとすることなのではないでしょうか。私たちもまた簡単に「盗人」になり得るのです。あるいはまた、献金をするときに、ほんの一瞬でも、惜しむ心が忍び込んだりします。喜んで献げるのではなくて、惜しんで、自分のもとに残そうとするとき、私たちの心に「盗人」の思いが忍び込みます。そして、その後ろめたさをごまかすために、正論を持ち出して、人を批判するのです。人を批判しているときには、自分のことを忘れられるからです。しかし、そうやって、正論で人を批判するとき、私たちは、神に対する信頼も、隣人に対する愛も失ってしまっているのではないでしょうか。

 主イエスは言われました。「この人のするままにさせておきなさい。私の埋葬の日のために、それを取っておいたのだ。貧しい人々はいつもあなたがたと一緒にいるが、私はいつも一緒にいるわけではない」(7節)。主イエスは、決して、貧しい人たちに対する愛の業が大事だという正論を否定しておられるのではありません。「貧しい人々はいつもあなたがたと一緒にいる」という言葉は、主イエスに従おうとする者たちが、いつでも貧しい人たちをはじめとして、隣人に対する愛の業を心がけるべきことを示しています。けれどもそのことが、マリアの純粋な信仰と主イエスへの愛の献げ物を批判したり咎めたりする理由にはなりません。三百デナリオンもする高価な香油をどのように用いれば、一番効果的で有効な結果を得られるか、というふうに考えれば、確かに、マリアのしたことは無駄遣いに思えるかも知れません。けれども、主イエスに対する信仰や献身の行いは、人間的な論理や計算で測れるものではありません。主イエスは、マリアの献げ物が高価であったから喜んで受けられたというのではないのです。レプトン銅貨二枚と同じです。すべてを主に献げる真実と愛を喜んで受け入れてくださったのです。
 しかも、主イエスは、マリアの献げ物を、ご自分の埋葬の日のために取っておいたものだと言われます。マリアが実際に、どのような動機で主イエスの足に香油を注いだのか、何も説明がありませんから、私たちは正確に知ることはできません。兄弟ラザロをよみがえらせてくださり、自分たちを悲しみから解き放ってくださった主イエスに心から感謝を表したかったのだろうと想像するだけです。けれども、大事なことは、そういうマリアの動機ではなくて、その献げ物をご自分の埋葬の準備とされた主イエスのお言葉であり、そのお言葉が指し示している主イエスの死の事実です。主イエスは、ご自分の死を見つめておられます。一週間もたたないうちに、捕らえられ、十字架にかけられ、殺されることを覚悟しておられます。いや自ら進んで、私たちの罪が赦されるために、ご自身の命を犠牲にして、罪と死の支配からの救いの道を拓いてくださったのです。

 ヨハネは、マリアが、主イエスの足に香油を注いだと記しています。マタイとマルコは、一人の女が、主イエスの頭に香油を注いだと記していました。頭に注いだ、というのは、まさしく、油注がれた者、メシア、キリストとしての姿を指し示すと言ってよいと思います。もちろん、ヨハネも、主イエスこそは、待ち望まれたメシア、油注がれた者キリストであることを証ししようとしたに違いありません。けれども、ヨハネは、この後13章に記す出来事を先取りするようにして、足にこだわったのではないかとも思われます。第13章では、主イエスがいわゆる「最後の晩餐」の食事の席で、弟子たち一人ひとりの足を洗って行かれたことを記しています。これもまたヨハネだけが伝えている出来事です。ヨハネは、マリアが主イエスの足に香油を塗ったことと、主イエスが弟子たちの足を洗って行かれたことを結びつけているのです。
 第13章の冒頭にヨハネは記します。「過越祭の前に、イエスは、この世から父のもとへ移るご自分の時が来たことを悟り、世にいるご自分の者たちを愛して、最後まで愛し抜かれた」(13章1節)。そして、この愛の実践として、弟子たちの足を洗って行かれたのです。土埃の多いパレスチナの地で、足は一番汚れるところです。家に着いた客人の足を洗うのは、奴隷の仕事でした。しかし、主であるイエスさまが、足を洗ってくださる。それは、ご自身が十字架の上で血を流すことを通して、私たちの罪を洗い清めてくださることのしるしです。主であるイエスさまが、罪の赦しの恵みをもって私たちに仕えてくださったのです。この恵みを受けた私たちは、主の恵みに応えて、私たち自身を主にお献げして生きるのです。ヨハネは、ナルドの香油を主イエスの足に塗ったマリアの姿に、主イエスの恵みに応える教会の姿を重ねているのではないかと思います。主イエスによって罪にまみれた足を洗っていただいた私たちは、主に自らをお献げするとともに、お互いに足を洗い合い、仕え合う者として生きる。そのような教会の交わりの中に生かされていくのです。

 ベタニアの家は、香油の香りでいっぱいになりました。今、この礼拝堂にも、主への献身の志と祈りの献げ物の良い香りが満たされることを信じて感謝します。主が私たちの足を洗ってくださった。その清めと贖いのしるしとしての聖餐の恵みが備えられています。恵みを受けて、恵みに養われ、恵みに応えて生きる歩みが、それぞれに形づくられることを祈ります。すべてを献げて主に仕え、また互いに仕え合う交わりの中に、麗しい愛の香りが満たされ、またこの礼拝の交わりの中から溢れ出ていくのです。