2023年10月22日 主日礼拝説教「死を超えて生きる」 東野尚志牧師
ヨブ記 第19章25~27節
ヨハネによる福音書 第11章17~27節
このところ、テレビや新聞のニュースで、何度も繰り返して、イスラエルの地図を目にするようになりました。中東のパレスチナ地方、地中海に面した細長い国がイスラエルです。シリア、レバノン、ヨルダン、エジプトといった国々に囲まれた小さな国であり、聖書の舞台となった地域です。聖書の時代と名前が変わっている町もありますけれども、エルサレム、ベツレヘム、またガザという地名は、聖書の時代と同じです。現在のパレスチナ自治区は、ヨルダン川に接するヨルダン川西岸地区と、エジプトに接するガザ地区の二箇所に分かれています。イスラエルの南西、地中海に面した東西約10キロ、南北約40キロの細長い地域が、今回の戦争の火種となったガザ地区です。もともとこの地域には、旧約聖書に登場するペリシテ人が支配していたガザという町がありました。このペリシテ人という呼び名がなまって、現在のパレスチナという言葉になったと言われています。
このたびの悲惨な戦争は、10月7日の土曜日、ガザ地区からイスラエルに向けて、突然の攻撃が行われたところから始まりました。イスラエルではその前の週、9月29日の金曜日の日没から、特別なお祭りに入っていました。ヨハネによる福音書の第7章に、その名前が記されています。「仮庵祭」です。イスラエルの三大祭りの一つで、もとは秋の収穫祭であったと言われます。収穫の時期、畑の中に仮小屋を建てて仮住まいしたのです。その後、エジプトの奴隷生活から解放されたイスラエルの民が、荒れ野を旅する間、天幕を張って仮住まいをしたことを記念する祭りになりました。家の中や庭に、仮小屋を建てて、そこで一週間過ごすのです。そして、8日目の安息日は特別盛大にお祝いします。神から与えられた掟である律法を重んじるユダヤ人は、安息日にはすべての仕事を休んで、神を礼拝するのです。もちろん、この日は戦いの用意もありません。イスラエルが無防備になるその日を狙って、攻撃が仕掛けられました。それが10月7日の土曜日でした。その後はご承知のようにイスラエルによる激しい反撃が開始され、まさに血で血を洗う争いは、今も収まる気配がありません。このような形で、聖書の舞台であるイスラエルの地に世界の注目が集まることは、残念でなりません。一日も早く、戦闘が収まり、これ以上の犠牲者が出ないことを祈るばかりです。
かつてイスラエルの首都であったエルサレムは、現在、ユダヤ教、イスラム教、キリスト教という三大宗教の聖地とされています。そのため、エルサレムは、イスラエルにもパレスチナにも属さず、国連の管理下に置かれているわけです。「エルサレム」の「サレム」は、「シャーローム」、つまり、平和です。「エルサレム」は「平和の基」を意味しています。ヨハネの黙示録においても、終わりの日、天から降って来る聖なる都は「新しいエルサレム」と呼ばれています。争いを止めることのできない人間の罪深さを覚えながら、この地上にまことの平和が成ることを祈り求めて行きたいと思います。
ところで、ユダヤ教においては、掟に従って、週の終わりの日、今で言う土曜日を安息日としています。厳密には、前の日、金曜日の日没から安息日が始まるのですけれども、この日は、神を礼拝する日であって、一切の仕事を休みます。だからこそ、パレスチナの軍隊はこの日を選んでイスラエルを攻撃したのです。けれども、ユダヤ教の中から生まれたキリスト教では、土曜日ではなく日曜日に、礼拝をまもるようになりました。私たちも、旧約の律法に定められた週の終わりの日ではなくて、週の初めの日である日曜日の朝、教会に集まって、共に神を礼拝しています。キリスト教会が、日曜日に礼拝をするようになったのは、言うまでもなく、この日、つまり、週の初めの日の朝早く、主イエス・キリストが墓の中からよみがえられたからです。
主イエスは、イスラエルの三大祭りの一つである「過越祭」のとき、十字架にかけられ殺されました。金曜日の朝、十字架にかけられ、その日のうちに、十字架の上で最後の息を引き取られました。日没と共に、特別な安息日が始まります。一切の仕事ができなくなりますから、日没の前に、主イエスのお体は十字架から取り下ろされ、慌ただしく墓の中に葬られました。そして、安息日を間に挟んで、三日目の朝、すなわち、日曜日の朝、主イエスは墓の中からよみがえられたのです。主イエスが死の力に打ち勝って復活された日、教会はこの日を「主の日」と呼んで、共に集い、よみがえりの主を礼拝するようになりました。もちろん、年に一度、ユダヤ教の過越祭のときに合わせて、主のよみがえりを祝うイースターの礼拝が行われます。けれども、イースターの日だけではありません。私たちは、毎週日曜日、主の日の朝、主イエスの復活を祝って礼拝をしているのです。
主イエスご自身の復活に先立って、ヨハネによる福音書は、第11章において、ラザロの復活の出来事を記しています。ラザロが死に至った状況については、前回読みました1節から16節に詳しく記されていました。そこを読んだのは、今月の初め10月1日のことですから、ずいぶん間が空いてしまいました。10月8日は神学校日の礼拝で、中根一茂神学生を説教者としてお迎えしました。また先週、10月15日、私は前日の土曜日、四国の丸亀教会の堺正貴伝道師就任式に出席して、翌日の日曜日は丸亀教会の礼拝に連なりました。堺先生は、特別多忙な一週間であったようですけれど、礼拝説教においては、私たちが苦難の中に留まり続けることを通して、神の栄光が表わされることを、力強く語られました。苦難の中でも、決して、神に見捨てられているのではない。苦難の中にこそ、主が共にいてくださることが証しされました。滝野川教会では、司式・説教すべて東野ひかり牧師が担当しました。東京と香川、直線距離で540キロくらい離れたところで、主の日の礼拝に連なりました。そんなことが続きましたので、ヨハネによる福音書の御言葉を読むのは、3週間ぶりのことになります。少し、流れをたどってみます。
主イエスが愛しておられたラザロが死に瀕していました。ラザロにはマルタとマリアという姉妹がいました。ラザロはベタニアの出身で、そこにはマルタとマリアの家がありました。今日のところで、「ベタニアはエルサレムに近く、十五スタディオンほどのところにあった」と記されています(18節)。一スタディオンは約185メートルですから、「十五スタディオン」だと3キロ弱です。聖書の時代の地図で見ると、エルサレムの東、オリーブ山の南東の麓にベタニアの村があります。そこを通って、さらにエリコへと下って行く道があったようです。現在の地図には「ベタニア」という地名は記されていません。代わりに「アル・エイザリア」という町があります。訳せば「ラザロの場所」という意味だそうです。「ラザロの復活」の出来事を記念して、そう呼ばれるようになったのかもしれません。死んだ人間が復活するということは、町の名前を変えてしまうくらい衝撃的な出来事であったと思われます。そして、この出来事を経て、ユダヤ人たちはいよいよ主イエスを殺そうと狙うようになるのです。
マルタとマリアの姉妹は、主イエスのもとに人をやって、ラザロが重い病気であることを知らせました。ところが、主イエスは、ラザロが病気で死にかけているということを聞いても、なお二日間同じところに留まっておられました。主イエスが弟子たちと一緒に留まっておられたのは、「ヨルダンの向こう岸、ヨハネが初めに洗礼を授けていた所」というふうに説明されていました(10章40節)。同じ福音書の1章を見ると、ヨハネが洗礼を授けていたヨルダン川の向こう側の地も「ベタニア」と呼ばれています。もちろん、エルサレムの近くのベタニアとは別の土地です。直線距離でも30キロほど離れていますから、急いでも一日はかかる距離だと思います。主イエスが、ラザロのもとを訪ねられたとき、墓に葬られてからすでに四日たっていたといいます。エルサレム近郊のベタニアから使いの者が送られて、ヨルダン川の向こうのベタニアにおられた主イエスのもとに知らせが届くのに一日、恐らく、この使いが送られて間もなく、ラザロは死んだのだと思われます。ラザロの瀕死の知らせを受けてから二日間、主イエスは動こうとされず、それから、ラザロを起こしに行く、と言って出かけられて一日、これで、四日が過ぎたという計算になるわけです。
けれども、この四日間というのは、ただ時の経過を告げているだけではありません。わざわざ「四日もたっていた」と記されるのは、ラザロが本当に死んだのだということを強調するためであると考えられます。当時は、現代のように医学的な死亡診断が確実になされるわけではありません。死んだと思われても、二日か三日して、突然息を吹き返すということがあったようです。死者の霊は、死後三日の間は遺体のそばに留まっているという考え方もあったようです。四日目になるとそこを離れて、もはや蘇生する望みはなくなると信じられていた。今日のように、死後すぐにドライアイスで処置をするわけでもありません。四日を過ぎると、死体が臭い始める。確かに死んだ、ということが、疑いようのない現実として目の前に立ちはだかるのです。
主イエスがラザロを訪ねて行かれたとき、マルタとマリアのもとには大勢のユダヤ人が集まっていたと言います。愛する兄弟を亡くした姉妹たちを慰めるためです。そこへ、主イエスが来られたという知らせを受けると、マルタは、慰めに来ていた人たちを置いて、村の外まで主イエスを出迎えに行きます。一方、マリアは家の中で座っていたと言います。二人の姉妹の性格の違いがここにもよく現れています。ルカによる福音書の第10章に、主イエスと弟子たちが、マルタとマリアの家をお訪ねになった時の様子が描かれています。主イエスをもてなすために忙しく立ち働いているマルタと、主の足元に座って御言葉に聞き入っているマリアの姿が対照的に描かれます。同じように、ここでも、深い悲しみを味わいながらも、きっぱりと立ち上がって、主イエスを迎えに出て自分の思いを訴えるマルタに対して、マリアは悲しみに打ちひしがれて立ち上がることもできず、地にくずおれたように、座ったままの姿で描かれているのです。
村の外まで主イエスを出迎えに行ったマルタは、主イエスに言いました。「主よ、もしここにいてくださいましたら、私の兄弟は死ななかったでしょうに」。多くの病人たちを癒しておられた主イエスの力を、マルタはよく知っていました。イエスさまさえここにいてくださったら、兄弟ラザロは死なずにすんだのに。なぜすぐに来てくださらなかったのですか。そんな恨み言を言っているようにも聞こえます。けれども、そうではないと私は思います。マルタが使いを主イエスのもとに送ったとき「主よ、あなたの愛しておられる者が病気なのです」と伝えさせています。さらにその後で「イエスは、マルタとその姉妹とラザロを愛しておられた」と記されています。マルタは、不安と悲しみを抱えながら、愛する主イエスに一緒にいて欲しかったのです。実際には、使いを送って間もなく、ラザロは死んでしまったと考えられます。主イエスが間に合うはずもありません。けれども、大事な弟ラザロが死にかけている。いや、死んでしまった。その悲しみのとき、愛する主イエスに共にいて欲しかった、と嘆いているのです。決して、恨み言を言うつもりではなかったのに、主イエスのお姿を見たとき、つい口から出てしまったのだと思います。だから、すぐに続けて言いました。「しかし、あなたが神にお願いすることは何でも、神はかなえてくださると、私は今でも承知しています」。愛する主イエスに対する信頼は、少しも揺らいではいないことを告白するのです。
主イエスはマルタに言われます。「あなたの兄弟は復活する」。主イエスは最初から、ラザロを復活させることを決めておられました。だからこそ、ラザロが死に瀕しているという知らせを受けたとき、主は言われました。「この病気は死で終わるものではない。神の栄光のためである。神の子がそれによって栄光を受けるのである」。そしてなお二日の間、動こうとされませんでした。ラザロの死から四日が過ぎて、その死が動かしがたい現実となったとき、主イエスは、マルタとマリアのもとへやって来られました。完全に死んだラザロを復活させるためです。死によってすべてが終わるのではないことを現わすためです。死に勝つ神の力、神の栄光を証しするためです。それによって、神の子が栄光をお受けになるのです。
「あなたの兄弟は復活する」。主イエスの言葉を聞いて、マルタは答えます。「終わりの日の復活の時に復活することは存じています」。当時、多数派であったファリサイ派のユダヤ人たちは、終わりの日の復活を信じていました。神の掟である律法を守って、神の御前に正しく生きた者は、終わりの日に復活する。そのことを信じていました。復活を信じないサドカイ派と呼ばれるグループの人たちもいましたけれども、ヨハネが福音書を記した頃には、サドカイ派はほとんど消滅していたと思われます。マルタは、ファリサイ派の教えに従って、終わりの日に、主を信じる正しい者たちは復活することを受けとめていたのです。「終わりの日」、それは、世界の滅亡の日ではありません。天地万物をお造りになった神が、それを終わらせられる日です。その日には、すべての嘆きと悲しみが取り去られて、救いが完成されます。確かに、私たちの肉体は滅びていきます。私たちも自分の死の時を迎えます。けれども、終わりの日には、よみがえって永遠の命を生きる者とされるのです。福音書に合わせて朗読した旧約聖書のヨブ記の言葉も、その復活の信仰を語る箇所として理解されてきました。マルタは、「あなたの兄弟は復活する」という主イエスの言葉を、終わりの日の復活のこととして受けとめたのです。
ところが、主イエスはマルタに向かって言われました。「私は復活であり、命である。私を信じる者は、死んでも生きる。生きていて私を信じる者は誰も、決して死ぬことはない。このことを信じるか」。「私は復活であり、命である」。ヨハネによる福音書の中で、主イエスはこれまでにも、「私は何々である」という言い方を繰り返してこられました。「私は命のパンである」。「私は世の光である」。「私は羊の門である」。「私は良い羊飼いである」。そして、この後、第14章において、「私は道であり、真理であり、命である」と言われ、第15章では「私はまことのぶどうの木」と言われます。いずれも、主イエスがどのような救い主であるのかということを印象深く告げている言葉です。「私は復活であり、命である」という言葉は、主イエスがご自身について語られた証言の頂点だと言ってよいと思います。そして、これまでと同じように、将来のことではなく、現在のこととして告げられています。将来、終わりの日に実現する救いだというのではなくて、今、すでに主イエスにおいて実現している救いとして語られているのです。主イエスご自身が復活であり、死によっても終わることのない命であるからこそ、この主イエスにつながっている者は、死を超えて生きるのです。
主は言われます。「私を信じる者は、死んでも生きる」。「死んでも生きる」というのは、確かに、言葉としては矛盾しているように聞こえるかもしれません。ここで言う死は、文字通り、肉体の死を意味しています。誰も死を避けて通ることはできません。この世に生まれ出たのと同じ確かさで、必ず、死の時を迎えることになります。若い時は元気であっても、やがて年老いて、死の時を迎えます。あるいは、年若くても、戦争や災害に巻き込まれたり、思いがけない病気になったりして、死を迎えることがあります。死というのは、まさに、命が絶ちきられることです。そうであればこそ、死に臨んでいる者は不安にさいなまれ、愛する者の死に直面する家族や友人は、癒しがたい悲しみに捕らわれてしまいます。しかしながら、肉体は滅びても、復活であり命である主イエスとつながっている命が滅びてしまうことはありません。主イエスとの絆は、死によっても空しくなることがないのです。主イエスが復活して、永遠の命を生きておられるからです。
復活の命というのは、主イエスと共にある命と言ってもよいと思います。だから、主は続けて言われます。「生きていて私を信じる者は誰も、決して死ぬことはない」。主を信じ、主と一つに結ばれる洗礼を受けた者は、今すでに、主イエスと共にあって、主の命にあずかっているのです。主と結ばれた命を生きる。その祝福を深く味わい知った使徒パウロは言いました。「生きているのは、もはや私ではありません。キリストが私の内に生きておられるのです。私が今、肉において生きているのは、私を愛し、私のためにご自身を献げられた神の子の真実によるものです」(ガラテヤ2章20節)。自分自身の肉体の命には限りがあります。けれども、キリストが私の内に生きておられるならば、その命には限りはありません。その命は、私自身の中にあるのではなくて、私の内に生きておられるキリストの命だからです。確かに、体の復活は、終わりの日、裁きの時に与えられる恵みの約束です。けれども、主イエスを信じて、主と結ばれている者は、今すでに、復活の命を生きる者とされているのです。
使徒パウロはまた、「キリストにあって」「キリストにおいて」ということも大切に語りました。キリストが私の内に生きておられるというのは、私がキリストにおいて、キリストの中で生きるということでもあるのです。それほどに、キリストと深く結び合わされた命、それが、復活の命、永遠の命です。終わりの日まで待たなければならないのではありません。私たちは、今すでに、この命を生き始めているのです。復活を信じるというのは、それを頭で理解するというようなことではありません。そんなことは無理な話でしょう。私たちの理解を超えているのです。けれども、信仰というのは、何か体系的に整えられたキリストの教えを信じるというのではなくて、今生きて、私たちの間に働いておられる主イエス・キリストを信じるということであり、主イエスと共に生きることです。私たちを罪から救うために十字架にかかって死なれ、三日目に復活された主イエス・キリストと共に生きるのです。もしも、私たちの信仰が、自分が頭の中で信じているということであるならば、年を重ねる中で記憶が不確かになって、何も覚えていなくなってしまえばそれまでです。けれども、主イエスが生きてくださることであるなら、年を取って自分では何も分からなくなっても、主イエス・キリストにお任せしておけばよいのです。主が私たちを捕らえていてくださり、私たちと共にいてくださり、主と一つに結ばれた命を生きることができるからです。
主イエスは、主と結ばれた者に与えられる、死を超える命の祝福を告げられた後、続けてマルタに対して、問われました。「このことを信じるか」。「私は復活であり、命である。私を信じる者は、死んでも生きる。生きていて私を信じる者は誰も、決して死ぬことはない」。あなたは、このことを信じるか。マルタは答えました。「はい、主よ、あなたが世に来られるはずの神の子、メシアであると私は信じています」。
「このことを信じるか」。主イエスは、マルタに、そして、私たち一人ひとりに問うておられるのです。「あなたは、このことを信じるか」。「主よ、信じます。私はあなたのものです。私の命は、あなたの命です。感謝します」。そのように答えて、主にすべてをお委ねし、主の御名をほめたたえたいと思います。新しい一週間、それぞれの遣われた場所において、主に結ばれた命、祝福に満たされた命を生きる者でありますように。そして、ひとりでも多くの者が、死を超える命の望みと力に生きる者となるように、さらには、今も争いの続いている彼の地に、主の平和が宿るように、祈りを合わせたいと思います。