2024年2月25日 受難節第二主日礼拝説教「神からの誉れ、人からの誉れ」 東野尚志牧師
イザヤ書 第6章1~10節
ヨハネによる福音書 第12章36b~43節
ヨハネによる福音書は、主イエスがなさった不思議な業、いわゆる奇跡を「しるし」と呼んできました。前半の11章までに、「7つのしるし」が記されています。最初のしるしは第2章、カナで婚礼の席での奇跡でした。婚礼の途中でぶどう酒が尽きてしまったとき、主イエスは水をぶどう酒に変えられました。ヨハネは、その出来事を記した後に綴りました。「イエスは、この最初のしるしをガリラヤのカナで行って、その栄光を現わされた」(2章11節)。第2のしるしは4章、同じくガリラヤの地で、死にかけていた役人の息子を癒やされました。主イエスは、離れた場所から、ただ言葉だけで、病気の息子を救われたのです。そして、第3のしるしは5章、エルサレムのベトザタの池のほとりで、38年間も病気で歩けなかった人を癒やして、歩けるようにされました。その日が安息日であったために、安息日の掟を破ったということで、主イエスはユダヤ人から迫害を受けるようになりました。第4のしるしは6章、五千人の大群衆が、わずか五つのパンと二匹の魚で養われて、満腹したのです。第5のしるしは、その直後、主イエスはガリラヤ湖の水の上を歩いて、弟子たちの舟に近づいて行かれました。第6のしるしは9章、生まれつき目の見えなかった人を癒やして、見えるようにされました。癒された人は、ただ肉体の目が開かれただけではなくて、次第に信仰の目が開かれて、主イエスを信じてひれ伏しました。そして、第7のしるし、最後、最大のしるしは11章、死んで墓に葬られていたラザロを、墓の中から呼び出して、よみがえらせたのです。
主イエスは、これら7つのしるしによって、ご自分が誰であるかということを示して来られました。その都度、不思議なしるしを見て、主イエスを信じた者たちもいました。特に、死んだラザロが、4日もたってからよみがえらされたときには、こう記されていました。「マリアのところに来て、イエスのなさったことを見たユダヤ人の多くは、イエスを信じた」(11章45節)。主イエスがなさったことを聞いた祭司長たちやファリサイ派の人たちは、最高法院を召集して言いました。「この男は多くのしるしを行っているが、どうすればよいか。このままにしておけば、皆が彼を信じるようになる」(11章47~48節)。その後、過越祭を前にして、主イエスがエルサレムに入城されたとき、大勢の群衆が歓呼しながら主イエスをお迎えする様子を見て、ファリサイ派の人たちは言いました。「見ろ、何をしても無駄だ。世をあげてあの男に付いて行ったではないか」(12章19節)。
この流れだけを見れば、主イエスのなさったしるしを見て、多くの人たちが主イエスを信じるようになったのだと思われるかも知れません。けれども、人の思いはあまり当てになりません。「ホサナ、ホサナ」と叫んで主イエスを歓迎した群衆が、わずか数日の後には、十字架につけろと叫ぶようになります。主イエスには、そのことがよく分かっておられたのだと思います。すでに最初のときから、福音書記者ヨハネは、「そのなさったしるしを見て、多くの人がイエスの名を信じた」と書いた後に続けて記しました。「しかし、イエスご自身は、彼らを信用されなかった」(2章23~24節)。しるしを見て主イエスの名を信じた人たちのことを、主イエスは信用されませんでした。その人たちにご自身を任せることはなさらなかったのです。そして、今日のところ、12章の37節には、これまで、7つのしるしを描いてきた福音書の前半部分を締めくくるように、はっきりと記されています。「このように多くのしるしを彼らの前でなさったが、彼らはイエスを信じなかった」。主イエスは多くのしるしを通して、ご自分が神から遣わされたメシアであることを示してこられたにもかかわらず、人々は主イエスを受け入れなかった、というのです。
以上が、12章36節後半の言葉の背景です。福音書記者ヨハネは記します。「イエスはこれらのことを話してから、立ち去って彼らから身を隠された」。「彼ら」というのは、これまで主イエスが語ってこられた「群衆」を指しています。これまで、主イエスは、群衆の間でしるしを行い、群衆に向かって語ってこられました。けれども、その群衆の前から立ち去って、身を隠されたというのです。群衆は、主イエスを信じようとしなかったからです。直前の段落において、主イエスは言われました。「私は地から上げられるとき、すべての人を自分のもとに引き寄せよう」(12章32節)。ヨハネはそこに注をつけています。「イエスは、ご自分がどのような死を遂げるかを示そうとして、こう言われたのである」。「地から上げられる」というのは、十字架に上げられることを指していました。モーセが荒れ野で蛇を上げたように、人の子も十字架に上げられるのです。しかし、それはまた、竿に上げられた青銅の蛇を仰ぎ見た人たちが癒されたように、十字架に上げられた主イエスこそが、私たちの救いとなることを告げているのです。
ところが、群衆は、主イエスに言い返しました。「私たちは律法によって、メシアはいつまでもおられると聞いていました。それなのにあなたは、人の子は上げられなければならない、とどうして言われるのですか。その『人の子』とは誰のことですか」(12章34節)。自分たちは、メシアはこういう方だと教えられてきた。その教えに合わないと言って、主イエスを受け入れようとしなかったのです。主イエスは、自分たちが教えられ、自分たちが期待するメシアの姿とは違っているからというので、結局、主イエスを受け入れず、主イエスを神から遣わされたメシア、救い主として信じようとしなかったのです。それで、主イエスは「立ち去って彼らから身を隠された」。人々の前から身を隠されたのです。実際、この後、13章以降、群衆から身を隠された主イエスは、もっぱら弟子たちだけに語りかけて行かれます。この次に、主イエスが群衆の前に姿を現わされるのは、18章以下、逮捕され、裁判にかけられ、ポンティオ・ピラトの法廷に引き出される時となります。主イエスはそこで、十字架刑の判決を受けて、ただちに刑が執行されるのです。主イエスが、群衆の前で御言葉を語られたのは、12章36節の前半が最後ということになります。これまでの主イエスの御業と御言葉が締めくくられて、群衆にはついに理解されることのなかった、十字架に上げられる救い主としての歩みが刻まれていくことになるのです。
主イエスは、ここに至るまで、多くのしるしとしての不思議な業を行われ、また御言葉を語ってこられたにもかかわらず、どうして、人々は主イエスを信じることができなかったのでしょうか。ヨハネはそこに、預言者イザヤの言葉の成就を見ています。「彼らはイエスを信じなかった」と告げた後に続けて、12章38節で語るのです。「預言者イザヤの言葉が実現するためであった。彼はこう言っている。『主よ、誰が私たちの知らせを信じましたか。主の腕は、誰に示されましたか』」(12章38節)。ここで引用されている預言者イザヤの言葉は、「苦難の僕の歌」として知られているイザヤ書53章の冒頭の言葉です。預言者はここで、自分たちが神から示されて告げ知らせた言葉を人々は信じようとしない、と語るのです。イザヤ書53章は、人々に受け入れられず、軽蔑され、見捨てられて殺される「苦難の僕」のことを歌っています。この僕が受けた苦しみは、実は、私たちの罪を背負ったのであり、私たちの身代わりとなって死んだのだと歌います。この僕の苦しみと死によって、私たちの罪が赦され、私たちに救いが与えられたのだと、告げるのです。
預言者イザヤは、主イエスがお生まれになる数百年も前、紀元前8世紀の人です。40章以下には「主の僕の歌」が4つ記されていて、この53章は最後、4番目の歌です。特に、僕の苦難が印象深く歌われています。イザヤ書の40章以下の預言を記したのは、アモツの子イザヤ自身ではなくて、その後継者である無名の預言者であるとも言われます。第二イザヤと呼ばれてきました。そうだとすれば、もう少し時代が下るとしても、主イエスがお生まれになるはるか以前であることに変わりはありません。そうであるにもかかわらず、このイザヤ書53章を読んでおりますと、まるで、預言者は十字架の主のお姿を仰ぎ見ながら歌っているのではないかと思えてきます。神の独り子である主イエス・キリストが、私たちの罪をすべて背負って、十字架にかかって死んでくださったことによって、私たちの罪が赦され、私たちに救いが与えられた。主の十字架による救いをはるかに望み見るようにして歌っているのです。そのイザヤが語ります。誰がこの知らせを信じたか、誰も信じなかったではないか。人々は、主の僕が語ったことを信じようとしないで、この僕を軽蔑し、見捨てて、殺してしまう。それもまさしく、主イエスにおいて実現したことなのだとヨハネは告げているのです。
人は誰も、自分が罪人だなどと真剣に悩んだりしていません。自分の罪を深くは自覚していませんから、罪を赦してもらう必要も感じません。罪の赦しを期待もしていないから、期待外れのメシアを追放し、抹殺しようとするのです。もっと、自分たちの願い通りに、自分たちの期待に応えてくれるメシアを求めて、苦難の僕、十字架のメシアには背を向けてしまいます。それは、いつの時代も変わらないのだと思います。私たちが、自分ではそれほど深刻に感じていない罪について、私たちよりも真剣に、その罪と取り組んでくださったのは神さまです。神と私たちの間を引き裂き、私たちと隣り人との間をも引き裂いてしまう罪の深刻さについて、私たち自身があまりにも鈍い有り様のところで、神はその罪を取り除くために、大切な独り子を送り、独り子の命を犠牲にして、罪の赦しの道を開いてくださいました。私たちは、自分自身のことを反省してみたところで、自分で自分の罪に気づくことはありません。その罪を取り除くために、私たちを罪の支配から解放するために、どれほどの大きな犠牲が払われたのか、神の独り子の十字架を、この私のための犠牲の死として仰ぎ見るとき、初めて、赦された罪の大きさにおののくことになるのです。
そこで、ヨハネはもう一つ、別の箇所のイザヤの預言を少し自由な形で引用します。12章の39節以下です。「彼らが信じることができなかった理由を、イザヤはまた次のように言っている。『神は彼らの目を見えなくし/心をかたくなにされた。彼らが目で見ず/心で悟らず、立ち帰ることのないためである。私は彼らを癒やさない。』」。ここで引用されているのは、今日、福音書に合わせて朗読したイザヤ書第6章の言葉です。イザヤ書の6章は、預言者の召命の記事だと言われます。アモツの子イザヤが主なる神の召しを受けて、預言者として立たせられた時の出来事を記しているのです。それにしても、不思議な、謎のような言葉です。預言者は、神の言葉を預けられて、神の言葉を語るようにと召され、遣わされます。当然、その言葉を何とかして聞いて欲しい、ちゃんと理解して欲しいと願って語るはずです。ところが、主なる神は、イザヤを預言者としてお召しになったとき、その最初から、あなたが語る神の言葉を人々は聞かない、と言われるのです。まるで出鼻を挫くような言葉です。
こんなふうに言われて、遣わされる預言者はたまったものではありません。伝道者もそうです。神に召されて、語る言葉を託され、遣わされて、一所懸命に御言葉を語っても聞いてもらえない。それは、語り方が下手だったからというのではありません。人々が自分勝手で心を硬くして、耳を貸そうとしなかったというのでもありません。神がその目を見えなくし、心を頑なにされたからだというのです。預言者や伝道者を召して、ご自身の言葉を語らせようとされる神ご自身が、人々の目を見えなくし、心をかたくなにされたので、人々は示されたことを見ることができず、語られることを悟ることもできず、立ち帰って癒されることもないと言うのです。それは、神の厳しい裁きの宣言だと言ってよいかも知れません。
ところで、福音書記者ヨハネは、イザヤ書第6章から御言葉を引用した後で語ります。「イザヤは、イエスの栄光を見たので、このように言い、イエスについて語ったのである」(12章41節)。主イエスがお生まれになるよりもはるか昔に生きた預言者が、どうして主イエスの栄光を見ることができたというのでしょうか。イザヤが、預言者としての召命を受けたのは、紀元前8世紀のことでした。主なる神の神殿で、礼拝をささげるうちに、イザヤは幻を見たのです。高く上げられた玉座に主が座っておられました。セラフィムと呼ばれる主の天使たちが飛び交いながら、「聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな/万軍の主。その栄光は全地に満ちる」と呼び交わしていました。その声で神殿の敷居の基が揺れ動き、神殿は煙に満たされたとあります。イザヤは、聖なる神の現臨に触れて、主の栄光を見たのです。それは素晴らしい体験というよりは、滅びの恐れに満たされる体験でした。イザヤは言います。「ああ、災いだ。私は汚れた唇の者/私は汚れた唇の民の中に住んでいる者。しかも、私の目は/王である万軍の主を見てしまったのだ」(イザヤ6章5節)。神の栄光の前に、汚れた罪人である私たち人間は立つことができません。滅ぼされるしかないのです。そのとき、ひとりの天使が祭壇の上から炭火を取って、それをイザヤの口に触れて言いました。「見よ、これがあなたの唇に触れたので/過ちは取り去られ、罪は覆われた」。イザヤは、炭火で口を焼かれることで、罪赦され、聖められたのです。イザヤは、神の栄光を仰ぎ見たことで、自らが滅びるしかない罪人であることを知らされると同時に、その罪を赦されることによって、預言者として立てられました。ヨハネは、このことを踏まえながら、イザヤはイエスの栄光を見たと言うのです。
どうして、そんなことが言えたのでしょうか。それは、神の栄光を見たことによって、預言者として遣わされたイザヤが、主イエスと同じ体験をしたからです。預言者として立てられたイザヤに、主が最初に語られた御言葉が、イザヤ書6章9節と10節です。「主は言われた。「行って、この民に語りなさい。『よく聞け、しかし、悟ってはならない。よく見よ、しかし、理解してはならない』と。」この民の心を鈍くし/耳を遠くし、目を閉ざしなさい。目で見ず、耳で聞かず、心で悟らず/立ち帰って癒やされることのないように。」」。イザヤが心を尽くして語っても、人々の心は鈍くなり、耳は遠くなり、目は閉ざされて、聞いたことを理解することができず、信じることもできず、主に立ち帰って癒されることもないのです。しかもそれは、神ご自身が人々の目を見えなくし、心をかたくなにされたからだといいます。それでは、預言者の働きは全くの無駄骨ではないか、と思います。しかし、それこそは、主イエスがこの世に来て味わわれたことであり、そのようにして苦難の僕の預言が実現しました。罪のないお方が、人々から軽蔑され、見捨てられ、殺されるという仕方で、罪の贖いが成し遂げられたのです。人々は、主イエスの不思議な業を見、御言葉を聞いても、心をかたくなにして信じようとしませんでした。そして、栄光の主を十字架に引き渡してしまいます。しかし、その主イエスの十字架の死において、神の救いが成し遂げられることになったのです。誰も信じることができなかった苦難の僕としてのメシアを通して、主なる神の栄光が現わされたのです。イザヤ書53章を記した第二イザヤは、十字架と復活の主をはるかに指し示すようにして歌いました。「多くの人の罪を担い/背く者のために執り成しをしたのは/この人であった」。
ヨハネは言いました。「彼らはイエスを信じなかった」。けれども、確かに信じた者たちもいたことを、最後に記します。12章の42節です。「とはいえ、議員の中にもイエスを信じる者は多かった」というのです。夜中に主イエスの教えを求めて訪ねてきたニコデモは、ファリサイ派の指導者であったと記されていました。ユダヤ人たちはすでに、最高法院において、主イエスを殺すことを決めていましたけれども、それに賛同していない議員たちもいたのです。しかし、ヨハネは「議員の中にもイエスを信じる者は多かった」と記した後に、続けて語ります。「ただ、会堂から追放されるのを恐れ、ファリサイ派の人々をはばかって告白はしなかった」。ユダヤ人たちが、イエスをメシアであると告白する者があれば会堂から追放するということを決めるのは、もっと後のことになります。1世紀の終わり、この福音書が書かれた時代のことです。ヨハネは、主イエスの物語を描きながら、そこに、自分の教会が直面した事態を重ね合わせているのです。主イエスをメシアと信じる者たちに対する迫害が始まっていました。会堂から追放されるというのは、共同体からの追放です。それは、議員たちのように高い地位にある人たちにとっては、耐えがたいことでした。心の中では主イエスを信じていたけれども、ユダヤ人の共同体から追放されるのを恐れて、公に告白することをためらう人たちがいたのです。言ってみれば、隠れ信者です。ヨハネは、そのような人たちに対して、厳しい言葉と突きつけます。43節です。「彼らは、神からの誉れよりも、人間からの誉れを好んだのである」。
「好んだ」と訳されているのは、「愛する」という言葉です。神がこの世を愛してくださった。「その独り子をお与えになったほどに、世を愛された」と語るときに用いたのと同じ言葉です。「神からの誉れ」と訳された「誉れ」は「栄光」という言葉です。神がお遣わしになった主イエスを告白することによって、神に栄光を帰するよりも、人間の栄光を優先した。つまり、人の前で自分の栄光を保つことの方を大事にしたということです。地位や財産や人の信用、そういった人間からの誉れ、人間の栄光が大事であって、それを捨ててまで主イエスに従う決心はつかなかったのです。神の栄光か、人間の栄光か、そのどちらを愛するのか、それは厳しい問いです。ガラテヤの教会に宛てて書かれたパウロの言葉を思い起こさせられます。パウロは言いました。「今私は人に取り入ろうとしているのでしょうか、それとも、神に取り入ろうとしているのでしょうか。あるいは、人の歓心を買おうと努めているのでしょうか。もし、今なお人の歓心を買おうとしているなら、私はキリストの僕ではありません」(ガラテヤ1章10節)。口語訳では「今わたしは、人に喜ばれようとしているのか、それとも、神に喜ばれようとしているのか。あるいは、人の歓心を買おうと努めているのか。もし、今もなお人の歓心を買おうとしているとすれば、わたしはキリストの僕ではあるまい」。人に喜ばれる、というのは、すぐに結果が出ますから、分かりやすいのです。それに対して、神に喜ばれる、というのは、案外分かりにくいかもしれません。信仰が問われます。
先週の月曜日、教会の仲間である香川芳子さんが天に召されました。92歳でした。明日の午後、この場所で葬儀の礼拝を行います。葬儀の準備のために、香川栄養学園でまとめられた、香川芳子さんのプロフィール、略歴を見ました。実に華々しい経歴です。多くの役職を担って、この世的にも大きな働きを成し遂げられました。その意味では、勲章をはじめとして数々の表彰、人間からの栄誉をたくさん受けておられた方です。けれども、教会の中で、その働きを誇られることはありませんでした。いつもにこやかに、教会専属の写真家のように、いろんな人のスナップ写真を撮っておられました。人からの栄誉をたくさん受けながら、しかし、この方は、それを頼みとするのではなくて、神からの誉れ、神のものとして生かされる喜びにあふれておられたと思います。その在りし日を偲びながら、この方を選び、召して、豊かに用いられた神に栄光を帰し、神の栄光をほめたたえる、そのような葬りの礼拝をささげたいと思います。この先達の信仰の歩みに、続いていく者でありたいと思います。