2023年11月5日 召天者記念礼拝説教「命へと呼び出す大声」 東野尚志牧師
詩編 第28編6~9節
ヨハネによる福音書 第11章38~44節
11月の最初の日曜日は、日本基督教団の暦において、「聖徒の日」とされています。「聖徒」と言っても、特別に聖なる人のことではありません。以前の口語訳聖書では、すべてのキリスト者を指す表現として、この「聖徒」、「聖徒たち」という言葉が用いられていました。洗礼を受けて、神に属するもの、キリストのものとして新しく生まれた信徒たちは、すべて「聖徒」とされているのです。新しい翻訳の聖書においては、かつて「聖徒」と訳されていた言葉が、「聖なる者」「聖なる者たち」と訳されるようになりました。「聖徒」という言い方が、「聖人」という言葉と紛らわしいと思われたからかもしれません。
もともと、聖書の時代には、洗礼を受けて、神のものとされた信仰者はすべて、「聖なる者」、「聖徒」と呼ばれていました。ところが、1世紀の終わり頃から、ローマ帝国による迫害が激しくなって、教会の仲間たちの中から、迫害で命を落とす者たち、いわゆる、殉教者が多く出るようになります。迫害に屈することなく、信仰を貫いて殉教した人たちは、特別に記念されて、「聖人」として崇められるようになります。最初の内は、それぞれの殉教の日が記念日とされて、その日ごとに、特別な記念の礼拝が行われました。やがて、9世紀頃になると、すべての聖人たちを覚える記念の日として、11月1日が「諸聖人の日」と呼ばれるようになりました。
今でも、カトリックの信仰の強い国では、11月1日は祝日になっています。けれども、16世紀にカトリック教会から分れたプロテスタントの教会では、聖人崇拝をすべて廃止しました。そして、特別に「聖人」に列せられた人たちだけを記念するのではなくて、天に召されたすべての信徒たち、すべての聖徒たちを記念するようになりました。日本基督教団も、プロテスタントの信仰に立つ教会として、11月の最初の日曜日を、「聖徒の日」と定めました。この日、神のもとに召されたすべての信仰者たちを記念して、礼拝を行うことにしたのです。
日本基督教団の暦を見ると、11月第一主日は「聖徒の日」とあり、その後に括弧に入れて「永眠者記念日」と記されています。確かに、日常的な眠りを比喩的に捉えて、死ぬことを永遠の眠りに就くと言い表すことがあります。翌日の朝になっても目覚めることのない眠りとして、永遠の眠り、永眠という言葉を用いるのです。けれども、誤解をしてはならないと思います。死は、決して、二度と目覚めることのない永遠の眠りではありません。終わりの日、万物が新たにされるその時、よみがえりの朝が来るのです。
終わりの日、主イエスが、私たち一人ひとりの名を呼んで、「さあ、起きなさい。よみがえりの朝だよ」と告げてくださる時が来ます。「永眠者」という言葉を用いるとしても、終わりの日のよみがえりの朝を待ち望みつつ眠りに就いた者たちであることを、忘れてはならないと思います。復活の体を与えられて、新たな命に目覚めるために、地上の命を終えて、天に召されたのです。そんな思いを抱きながら、「永眠者記念日」を「召天者記念日」と言い換えるようになりました。私たちは、この朝、天に召された信仰の仲間たちを記念しながら、天にある聖徒たちと共に、神を礼拝しているのです。
今年は、召天者記念礼拝のために、特別に聖書の箇所を選ぶということはしませんでした。先月の初めから、ヨハネによる福音書の第11章、「ラザロの復活」の物語を読み続けています。今日の礼拝でも、その続きの箇所を読むことにしました。先ほど、朗読したところは、「ラザロの復活」の記事のクライマックスだと言っても良いと思います。主イエスが、愛するラザロの葬られた墓の前に立って、「ラザロ、出て来なさい」と大声で叫ばれた、その場面が描かれていました。
43節以下に記されています。主イエスが、ラザロの名を呼んで、「出て来なさい」とお命じになると、「死んでいた人が、手と足を布で巻かれたまま出て来た」というのです。実に、生々しい描き方です。ラザロは、主イエスによって、死の眠りの中から呼び出されて、死んで葬られたときのそのままの姿で、手と足を布で巻かれ、顔も覆いで包まれたままで、墓の中から出て来たというのです。その場にいて、この出来事を目撃した人たちは、驚いたに違いありません。信仰がなければ、まるでゾンビを見るように恐れたかも知れません。
ヨハネによる福音書の第11章は、ラザロが病気になったことを告げるところから始まりました。ラザロには、二人の姉妹、マルタとマリアがいました。恐らく、ラザロはマルタとマリアの姉妹の弟であったと思われます。姉妹の家は、エルサレムから3キロほど東に下ったベタニアという村にありました。主イエスがエルサレムの都を訪ねられるときには、いつも、このマルタとマリアの家に立ち寄っておられたようです。主イエスは、マルタとマリア、そしてその弟であるラザロを愛しておられたのです。そのラザロが病気になったとき、姉妹たちは、主イエスのもとに人を送って伝えました。「主よ、あなたの愛しておられる者が病気なのです」。直接には言われていませんけれども、主イエスにすぐ来て欲しい、一緒にいて欲しい、そんな願いが込められていたはずです。そのくらいに、深刻な病であったということです。平たく言えば、ラザロはこのとき、死にかけていたのです。
ところが、姉妹たちからの知らせを受けた主イエスは言われました。「この病気は死で終わるものではない。神の栄光のためである。神の子がそれによって栄光を受けるのである」。そして、知らせを受けてからも、なお二日の間、動こうとはなさらず、ヨルダン川の東側、ベタニアの村からは30キロ以上も離れたところに留まっておられたのです。二日を経て、主は弟子たちに言われました。「私たちの友ラザロが眠っている。しかし、私は彼を起こしに行く」。弟子たちは、「眠っているのであれば、助かるでしょう」とのんきに応じました。実は、このとき、主イエスはラザロが死んだことを告げられたのですけれど、弟子たちは文字通り、眠っているのだと思ったのです。それで、改めて、主イエスははっきり言われました。「ラザロは死んだのだ。私がその場に居合わせなかったのは、あなたがたにとってよかった。あなたがたが信じるようになるためである。さあ、彼のところへ行こう」。主イエスは最初から、何をするべきか知っておられました。ラザロは、重い病気にかかって死にました。けれども、主は「この病気は死で終わるものではない」と言われました。ラザロを死の眠りから起こすことによって、神の栄光が現わされることを、主は見通しておられました。それを見て、弟子たちが信じるようになることを求めておられるのです。
主イエスが、ベタニア村の近くに来られたとき、ラザロは墓に葬られてすでに四日もたっていました。主イエスが来られたと聞いて、すぐに立って迎えに出たマルタに対して、主は言われました。「私は復活であり、命である。私を信じる者は、死んでも生きる。生きていて私を信じる者は誰も、決して死ぬことはない。このことを信じるか」。「私は復活であり、命である」。多くの教会が、この主イエスの宣言を、教会墓地の墓石に刻んでいます。私がかつて仕えた鎌倉雪ノ下教会の墓石にも、「われはよみがえりなり、いのちなり」と文語訳聖書の言葉で、刻まれていました。愛する者の死という厳しい出来事が、もはや動くことのない現実であることを思い知らされる墓という場所において、死の力を打ち破る復活の主の言葉が告げられるのです。墓石に刻まれる聖書の言葉としては、フィリピの信徒への手紙の第3章20節の言葉と一、二を争うところかもしれません。やはり文語訳聖書から「されど我らの国籍は天に在り」と刻まれます。地上の命の終着点と思われる墓が、実は天とつながる場所であり、天を仰ぎ見るべき場所であることが思い起こされるのです。
マルタに対して、死を超える復活の信仰を問われた主イエスは、続いて、マリアを呼ばれました。主イエスを見て、その足元にひれ伏したマリアは、先にマルタが口にしたのと同じ言葉を語りました。「主よ、もしここにいてくださいましたら、私の兄弟は死ななかったでしょうに」。死んだラザロの傍らで、マルタとマリアは、同じ思いを抱いていたのだと思われます。「主イエスがここにいてくださったら」。それは、二人の率直な思いであったはずです。しかし、ラザロが死んでしまった今となっては、もうどうしようもない。その絶望と嘆きが、マルタとマリア、そして、二人を慰めに来ていたユダヤ人たちの心を支配していました。
主イエスは、マリアの涙、またそこにいたユダヤ人たちの涙を見て、憤りを覚えられたと言います。泣いている人たちに対して憤られたのではありません。その人たちを悲しみの中に縛り付け、絶望の淵に引きずり込んでいる死の力に対して憤られたのです。主イエスは、憤り、心を騒がせ、また涙を流されました。その様子を見たユダヤ人たちは、主イエスがどれほどにラザロを愛しておられたか、ということに心打たれます。しかし、また同時に、「盲人の目を開けたこの人も、ラザロが死なないようにはできなかったのか」と言う者もいました。さすがのイエスさまでも、ラザロを死の力から救うことはできなかった。そんなふうにつぶやいた人たちがいたのです。
直接的には、その言葉が聞こえたからでしょうか。主イエスは、再び憤りを覚えて、ラザロが葬られた墓に来られました。もちろん、ここでも、主イエスの憤りは、つぶやいている人たちに向けられたのではないと思います。死の力が圧倒的に支配している現実に対して、主は憤りを覚えられたのです。死んだらおしまい。誰もそれを疑わない。生きている間なら病を癒すことはできても、死んでしまったらどうにもできない。誰も、もうその人を救うことはできない。イエスさまでさえも、死という現実を動かすことはできない。そんなふうに人々の心を支配している死の力に対して、主イエスは再び激しい憤りを覚えながら、ラザロが葬られた墓に来られたのです。ただ一人、死の力に対抗することのできるお方として、いや死をも超える力と権能を持つお方として、死の力を象徴する墓の前に立たれるのです。
当時のお墓は、小高い山のような岩場に、横穴を掘って、そこに遺体を収めていたようです。その入口は石で蓋をしたのです。主イエスご自身が葬られた墓も、同じような構造であったと思われます。十字架にかけられ、十字架の上で息を引き取られた主イエスは、安息日が始まる前に、慌ただしく墓の中に葬られました。それは、アリマタヤ出身のヨセフという人が、自分のために用意していた墓で、まだ使われていない新しい墓でした。以前、夜の闇に紛れて、主イエスのもとを訪ねて教えを請うたファリサイ派の議員ニコデモも、その葬りに立ち会いました。ユダヤ人の埋葬の習慣に従って、主イエスのお体は香料を添えた亜麻布で包まれて、墓に横たえられました。崖に横穴を掘った洞窟のような墓には、大きな丸い石で蓋がされたのです。
ラザロが葬られた墓も、洞穴のような墓で、その入口は石で塞がれていました。この石は、生きている者たちの世界と死んだ者の世界を隔てています。ラザロを死の支配下に封じ込めている石です。死の力の支配を象徴するような石だと言ってよいと思います。主は、墓の前に立って言われます。「その石を取りのけなさい」。マルタは、主がしようとしておられることの意味がよく分からず、現実的な答えをしました「主よ、もう臭います。四日もたっていますから」。横穴の墓を石で塞いだのは、臭いを封じ込めるためでもありました。現代のように、遺体をドライアイスで処置するわけではありません。墓の中に葬られた遺体は、四日もたつと腐り始めています。蓋をしている石を取りのけたら、あたりに死臭が漂う。マルタはそれを心配しました。愛するラザロの体がそのように死臭を放つという現実を目の当たりにしたくない、という思いもあったでしょう。それは自然な感情であると思います。けれども、主イエスは、その自然な気持ちに逆らうように、「石を取りのけなさい」とお命じになるのです。
主は、マルタに言われます。「もし信じるなら、神の栄光を見ると言ったではないか」。先のマルタとの対話において、この言葉がそのまま告げられたわけではありません。けれども、主はマルタに言われました。「あなたの兄弟は復活する」。「私は復活であり、命である。私を信じる者は、死んでも生きる。生きていて私を信じる者は誰も、決して死ぬことはない」。そもそも、ラザロが病気であることを知らされたとき、主は弟子たちに言われました。「この病気は死で終わるものではない。神の栄光のためである。神の子がそれによって栄光を受けるのである」。ラザロの病気は、死の支配によって終わるのではない、それは死を突き抜けて復活へと至る。それによって神の栄光が現わされ、神の独り子である主イエスが栄光を受ける。主は最初から、神の栄光が現わされることを告げておられたのです。
神の栄光とは何でしょうか。分かったようで良く分からないと思われるかも知れません。栄光、というのですから、光り輝いているということは分かります。神が光り輝いておられるのです。私たちは、神の姿を直接目で見ることはできません。けれども、その光り輝く神の栄光を見る、ということは、神がそこにおられるということです。神の栄光を見るというのは、神さまが今ここにおられ、その全能の力を現わされるのを見るということです。決して動くことがないと思われた死の支配が揺るがされ、誰もかなわないと思われた死の力が打ち負かされるとき、死の力に打ち勝つ神の栄光が現わされるのです。
主イエスは、「もし信じるなら」と言われました。信じることなしに、神の栄光を見ることはできません。そして、信じるというのは、まだ見える現実となっていないことを信じることです。見える現実として目で見てしまえば、それはもはや、信じる必要はなくなります。その現実を認めるだけです。まだ見ていないからこそ、信じて待ち望むのです。私たちは、神の栄光を見たから信じるのではなくて、信じることによって神の栄光を見るのです。もちろん、目で見ていても、その真実が分からないということもあるでしょう。その意味では、目に見える現実の背後にある、神の真実、神の愛を信じると言って良いかも知れません。例えば、私たちが、主の日の礼拝に集うたびにあずかる聖餐の恵みは、目に見える現実としては、切り分けた小さなパンを食べ、小さなグラスに注いだぶどうジュースを飲むだけです。お腹が満たされるにはほど遠い分量だと言わざるを得ません。けれども、主を信じて、主の愛と真実に支えられながら受けるとき、パンはキリストの体として、杯はキリストの血、救いの杯として、主の現臨にあずかり、主の復活の命に養われるのです。
墓を塞いでいた石が取りのけられたとき、主は目を天に上げて、父なる神に向かって言われました。「父よ、私の願いを聞き入れてくださって感謝します」。これから、主イエスが行おうとしておられるラザロの復活を「聞き入れてください」と祈られたのではありません。「聞き入れてくださって感謝します」と言われました。主イエスは、父なる神が、すでにラザロの復活を良しとして聞き入れていてくださることをご存じなのです。できるかどうか分からないけれども、神さまにお願いしてみましょう、というのではありません。それはもうすでに、主イエスと父なる神さまの間では決まっている事柄でした。だからこそ、主イエスは、最初から、ラザロの病気は死で終わるものではなく、神の栄光のため、神の子が栄光を受けるため、と言われたのです。その意味で、主イエスと父なる神は一つでした。
さらに、主は続けて、天を仰いだまま、父なる神に向かって言われます。「私の願いをいつも聞いてくださることを、私は知っています。しかし、私がこう言うのは、周りにいる群衆のためです。あなたが私をお遣わしになったことを、彼らが信じるようになるためです」。ラザロの復活は、主イエスの祈りを父なる神が良しとされたことを示しています。主イエスにはそれがよく分かっておられたにもかかわらず、あえて、その場にいる者たちに聞こえるように、祈られました。死人の復活という驚くべき出来事に遭遇する群衆が、主イエスのなさったこの「しるし」を見て、主イエスは本当に天の父である神さまから遣わされたお方であるということを信じるようになるためだと言われるのです。この場面の背後にも、あの御言葉が通奏低音のように響いています。「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。御子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである」。ここに現わされた神の御心を、皆が信じるようになるために、主はラザロの復活という驚くべき「しるし」を行われたのです。
祈りを終えると、主イエスは「ラザロ、出て来なさい」と大声で叫ばれました。聖書は、ここにはっきり、「大声で」と記しています。死の支配のもとに置かれていたラザロ、死んですでに四日もたっていたラザロを、死の支配の中から命へと呼び出し、死の支配から解き放つために、大声で叫ばれたのです。それは、死の力に支配されて、死はすべての終わりだと思い込んでいる私たちすべての嘆きと迷いを吹き飛ばすような大声です。それは、父なる神が、はじめに天地を造られたとき、「光あれ」と言って光を造られた、あの無から有を呼び出す声、天地の造り主であり全能者である方の声です。この命の大声によって名を呼ばれ、命へと呼び出され、ラザロは復活して、墓の中から出て来たのです。
しかし、福音書は、ラザロが墓から出て来たというふうには記していません。「死んでいた人が」出て来たと記すのです。それは、この物語の冒頭、11章1節で「ある病人がいた」という言葉で語り始めたことと、対になっていると言ってよいと思います。これは、確かに、ラザロという人の復活の物語です。しかし、それだけではありません。「ある病人」が死んで葬られたけれども、主イエスがそこに来てくださり、「私は復活であり、命である」と宣言なさり、憤りをもって死の力と戦い、これに打ち勝ってくださったことによって、「死んでいた人」が復活して、新しい命を生き始めた、そういう物語です。つまり、主イエスが来てくださり、主イエスが出会ってくださるとき、私たち一人ひとりの上に起こる出来事なのです。私たちは、「ラザロ」とあるところに自分の名前を入れて味わうことができる。主イエスが、私たちの名を呼んで、死の支配の中から命の光の中へと呼び出してくださるのです。
ラザロの復活は、主イエスの復活の先取りとも言えます。けれども、ラザロの復活と主イエスの復活は同じではありません。復活したラザロは、その後ずっと生き続けて、今も生きているということではありません。何年か後には、ラザロはまた死んだのでしょう。けれども、復活した体をもって、主イエスの十字架の死と復活を見たラザロは、安心して二度目の死を死ぬことができたのではないでしょうか。そして、私たちも、安心して、すべてを主に委ねて死んでいくことができます。主イエスの十字架の死と復活によって、私たちに、確かな復活の望みが与えられたからです。私たちは、ラザロと同じ復活ではなくて、終わりの日、主イエスに似た者として、主の十字架の贖いによってすべての罪を拭われた者として復活するのです。主が再び来てくださるとき、主は大きな声で、私たちの名を呼んで「起きなさい。よみがえりの朝だよ」、そう言って、死の眠りから起こしてくださるのです。
昨年の召天者記念礼拝から今日まで、この一年の間に、滝野川教会に連なる6人の兄弟姉妹が天に召されました。午後の墓前礼拝においては、その中のお2人の遺骨が教会墓地に納められます。終わりの日のよみがえりの朝を待つ信仰の仲間たちの名が、新たに、教会の墓地に加えられます。主イエスご自身、葬られた墓を、よみがえりの栄光で満たしてくださいました。私たちもやがて死の時を迎えます。しかし、それで終わりではありません。死を突き抜けて、復活へと至る命の道が開かれているのです。